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プロ野球仰天伝説

グラウンドで血を吐きながら投げ続けた神田武夫/プロ野球仰天伝説153

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

結核に苦しみながら……


南海・神田武夫


 マウンドで血を吐きながらも必死に投げ続けたのが、南海の神田武夫だ。

 京都商から1941年、南海に入団。ただ、そのころから肺結核を患っていた。いまなら完治する結核も、当時は多くの人たちを苦しめ、また、多くの人たちの命を奪った死病だった。

 静養こそが唯一の治療法と言われた結核に苦しみながらも、神田は自らの体をいじめ続けた。兵役による選手不足もあって1年目から52試合に投げ、25勝15敗。ベンチではいつもマスクをして、マウンドに向かうときだけ外した。

 オフには球団から引退を勧められたが、「だいぶ回復しました。やらせてください」と三谷八郎監督に頼み込んで残った。

 2年目も投げまくる。4月18日から25日まで5試合連続勝利もあった。20日の試合では途中で吐血。それでもさらに投げ続け、結果的には61試合で24勝20敗だった。

 その後、病状が悪化し、同年限りで退団し、翌43年7月27日、死去。三谷監督は「俺のせいだ」と号泣した。

写真=BBM
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