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清宮幸太郎と松井秀喜の道は重なるのか

 

一軍デビューの日付は一緒


清宮の次なる一軍昇格はいつか


 5月27日の西武戦後、日本ハムのスーパールーキー・清宮幸太郎の二軍降格が発表され、28日に登録抹消となった。

 5月1日の一軍デビューから21試合に出場し、67打数12安打、1本塁打、2打点、打率.179。まさにプロの洗礼を受けた1カ月であったが、最後の2試合は25日、19歳の誕生日の西武戦で自身初のマルチ、翌26日の同カードはヒットを打ちながら代走を出されての交代。栗山英樹監督の配慮であろうが、大きな挫折感はないはずだ。半分の試合でDHが使えぬ交流戦では、どうしても出場機会が限られる。このタイミングでの二軍降格は既定路線だったという。

 二刀流という誰もが不可能と思ったことを実現させ、目標だったメジャー移籍を果たしたエンゼルス・大谷翔平の獲得時と同様、栗山監督と日本ハムは清宮に対し、緻密かつ長期的な育成プランを練り上げている。今回は一軍で見つけた課題を二軍で整理し、克服するための期間と位置付けているようだ。DHだけではなく、一塁、外野守備も経験し、実りの多い1カ月になったのではないか。

 清宮とどうしても重なるのが、巨人の四番、そしてヤンキースの四番となった松井秀喜のルーキーイヤー、1993年だ。彼もまた、当時の長嶋茂雄監督の「四番1000日計画」で育成された男である。ホームランバッターであり、騒がれて入団しながらの開幕二軍スタート、さらに一軍デビューが清宮とまったく同じ5月1日となると、これはもう偶然とは言えまい。栗山監督か球団フロントかは分からないが、明らかに意識はしているはずだ。

松井は最終的に11本塁打


ルーキーイヤーの松井秀喜


 もちろん、体調を崩して二軍スタートしかなかった清宮に比べ、一軍にこだわり、二軍スタートとなったときには「見返してやりたい」と発言した松井では覚悟が違う。松井は打率.375で、文字どおり、はい上がり、清宮は打率.220で、ひとまず合格点をもらっての昇格だった。ただ、そこまでに放ったホームランは、ともに4本。栗山監督は、それを一つの基準にしたのかもしれない。

 一軍昇格後、松井は清宮以上に苦しんだ。まったく打てず、代打要員になってからは出場機会も激減。並行して二軍の試合にも出ていた。一軍出場の一番長い空白は、清宮が最後の試合に出たのと同じ5月26日から6月6日だ。結果的には6月20日の出場を最後に二軍落ち。その時点の打率は.091だった。おそらくプライドはズタズタになっていたはずだ。

 8月22日から一軍戦復帰。以後はしり上がりに調子を上げ、月間打率は9月が.247、10月は.298で閉幕。最終的には打率.223、11本塁打でルーキーイヤーを終え、翌94年から主力選手として活躍することになる。

 もちろん、2人の資質は同じではない。指揮官のタイプも時代も違う。2人の道のりを比べても大きな意味はないという人もいるだろう。ただ、時間を超え、選手の軌跡を重ねることもまた、長い歴史を持つプロ野球ファンに与えられた楽しみの一つではある。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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