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プロ野球仰天伝説

川上哲治は赤バットを戦前から使っていた/プロ野球仰天伝説162

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

巨人カラーのえび茶色が……



 終戦後、赤バットを使って打ちまくった巨人・川上哲治と、セネタース(東急)でバットを青く塗り、ホームランを量産した大下弘は、“青バット、赤バット”と言われ、戦後の復興を象徴する流行語にもなった。

 川上によれば、これはバットメーカーに1年1万円で頼まれて塗ったもので、その後、バットの塗料がボールについてしまうので、禁止になったということだった。

 しかし、川上の赤バットが戦前にもあったことは、あまり知られていない。1940年のことだった。

「それまで使っていたバットが折れ、運動具の玉沢の人に、次のバットは何色にするかと言われ、巨人カラーのえび茶にしようと言ったのが、塗料の関係で赤っぽくなったんですよ。現に、当時の読売新聞の運動欄に鈴木惣太郎さんの文章で『川上、赤トンボ、ひと振りすれば左中間二塁打』という表現が残っています」

 赤バットは2種類あったのだ。

写真=BBM
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