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編集部員コラム「Every Day BASEBALL」

打倒巨人、アーリー西武のイメージ戦略

 

西武を大特集した『ベースボールマガジン』別冊薫風号


 明日発売する『ベースボールマガジン』別冊薫風号では、所沢移転40周年イヤーを迎えた埼玉西武ライオンズが大特集されている。

 同号の目玉は7大インタビューとして、黄金時代を中心に、ライオンズ40年の歴史を彩ってきた監督、選手に話を聞いている。1.森祇晶、2.秋山幸二、3.辻発彦、4.伊東勤、5.松井稼頭央、6.伊原春樹、7.片岡治大という豪華版だ。

 それぞれのライオンズに対する関わり方の違いが語られているので、読み比べていただくと興味深い。

 1980年代に黄金時代を築いた西武、その黎明期には「打倒巨人」が大きな原動力になった気がする。82年から指揮官に就いた広岡達郎監督にとって巨人は13年間の現役生活を送った古巣。当時の川上哲治監督との確執が引き金になってユニフォームを脱いだ因縁もあって、指揮官として川上監督率いる巨人を倒すことをライフワークにしていた。川上監督は74年限りで現場とは別れを告げたが、広岡監督の情念をバックアップするように、スカウティングやトレード戦略、営業面、すべてにおいて西武は巨人を意識していた。

 所沢移転後のライオンズは、それ以前の長い歴史を一掃、新興球団として一からスタートを切った。まずはファンを獲得しなければいけない。当時の巨人は、まだまだ球界のリーダーとして絶大な人気、影響力を誇っていた。西武本社では「(巨人の)YGマークの帽子を締め出せ」の大号令の下、西武沿線の小中学校の校門前で球団職員が、レオマークがついた帽子を大量に配布。新規のファンを開拓していった。

 83年の巨人との日本シリーズでは広岡監督が悲願を果たしての日本一連覇を達成。しかし、西武の巨人へのライバル心はとどまるところを知らなかった。84年には、当時、「優勝請負人」の異名を欲しいままにしていた江夏豊を獲得。球団代表を務めていた坂井保之氏によると、その目的は西武の戦力増を図ってというより、巨人に江夏を持っていかせたくない一心だったという。

 西武が黄金時代を築いたのは、森監督時代の9年間に6度の日本一という圧倒的な戦績もさることながら、対立概念に巨人を据え、マスコミが煽りに煽った「盟主対決」でことごとく勝利を収めてきたイメージ戦略の勝利も見逃せない。しかも、巨人との日本シリーズには幾多の伝説が生まれた。87年の日本一決定の直前には、清原和博が前年ドラフトの因縁を思い返し、熱い涙を浮かべた。90年には、巨人相手に4連勝して圧倒的な力の差を満天下に示した。

 そんな打倒巨人の伝統は、時代を経て、いまの西武ナインにどれだけ受け継がれているだろうか。80〜90年代の日本シリーズに熱狂してきた人間にとっては、やはり「盟主対決」というフレーズには、特別な響きがある。昨年、巨人が球団ワーストの13連敗を記録したときの相手は奇しくも西武だった。球団創設40周年にあたる今季、巨人との交流戦ではどんなドラマが生まれるか。そして08年以来10年ぶりの日本シリーズで、両チームが雌雄を決する日は来るだろうか。

文=佐藤正行(ベースボールマガジン編集長)写真=BBM
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