今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 ビーン・ボール騒動
今回は『1962年6月11日号』。定価は40円だ。5月26日の試合前、不振に苦しむ南海ホークスの監督、
鶴岡一人の退任が発表された。
記者会見で理由を聞かれた鶴岡は、
「こんな成績のままではいかん。これは指揮官が悪いからかもしれん。軍隊用語で言うなら、全滅の恐れがある。指揮官として代わったほうがいいんじゃないかと思ってね」
と軍隊時代が長い男らしく語っている。鶴岡は軍隊時代のたとえ話が多く、捕手・
野村克也はそれが好きではなかったという。
この時点で最下位。開幕ぎりぎりに帰国という長いアメリカ視察の影響と批判もあった。46年に兼任監督となって以来、17年目の指揮官人生だった。後任は
蔭山和夫コーチの昇格が同時に発表されている。
今後については「野球からは足を洗えんと思うのや。これからはファームの選手を育てるよ」と話していた。米視察でGM的な仕事への興味が出てきたようでもある。
その2日前、24日、西宮での阪急戦で南海は、アンダースローの
足立光宏に17奪三振の日本新記録を作られていた。この年プロ4年目。これまでパッとした成績は残してないが、この試合をブレークのきっかけとし、最終的には8勝を挙げている。
ビーン・ボールを話題にした記事もあった。5月22日、日生球場での近鉄─東映戦で、近鉄のミケンズが東映の
吉田勝豊の頭に当てたものだ。両軍エキサイトし、取っ組み合い寸前となった。
ミケンズは言う。
「あれはビーン・ボールではない。アメリカでは打たれた後、必ず打ち気をそらすため内角へ投げるものだ。外角じゃ逃げのピッチングになって、追い打ちをかけられることがあるからね」
対して飛び出していった東映・
張本勲の言い分を。
「水原さん(茂、監督)がミケンズに注意したら頭も下げずにいる。悪いことをしたという気配すらない。そこで僕は故意にやったと直感しましたよ。ミケンズがオヤジに指一本でも触れたら、やつはいまごろノビていたでしょうね。だって、僕だってぶん殴っていたでしょうから」
さすがハリさん。
ミケンズはビーン・ボールの常習犯として相手チームに嫌われていた。当てられた吉田も「キャッチャーは外角にかまえていた。コントロールが悪いわけでもないのにおかしい」と怒り心頭だった。
東京スタジアムの工事がようやく終了。この号にはモノクロ1ページで『夢の球場 東京スタジアム 6月2日開場』の広告が掲載されていた。
以下宣伝。
週べ60年記念シリーズ『巨人編』『
日本ハム編』『
阪神編』『
ロッテ編』が発売中です。
では、またあした。
<次回に続く>