週刊ベースボールONLINE

平成助っ人賛歌

モスビー(巨人) 陽気な性格で救世主となった元メジャー/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

1992年、開幕直後に緊急入団


92年、96試合の出場ながら25本塁打をマークした


「モスビー、覚えていますか?」

 先日、野球好きの編集者と東京ドームで巨人戦を観戦した帰りに立ち寄った居酒屋で、久々に懐かしい名前を聞いた。一瞬「締めの飯系はオムスビとお茶漬けどっちがいいすか?」的ないつもの質問だと思ったら、助っ人選手の話である。要は昔のプロ野球ってやたらと開幕直後の緊急補強が多かったという話の流れから、ロイド・モスビーの名前が挙がったわけだ。

 例えば、100歳の双子“きんさんぎんさん”が話題となり、『進め!電波少年』や『タモリのボキャブラ天国』といった斬新なバラエティTV番組が続々と始まった今から26年前の1992年(平成4年)。藤田元司監督率いる巨人は開幕直後から貧打にあえぎ、ひとりの大物選手の獲得に動く。4月12日、成田空港に降り立ったのは、年俸80万ドル(約1億円)で契約した元メジャー・リーガーのロイド・モスビーである。

 80年代にトロント・ブルージェイズで活躍、メジャー通算1494安打、169本塁打、280盗塁の実績を誇る31歳の外野手は、巨人が追い求め続けた救世主だった。実はオフにもチームはV奪回の切り札としてモスビーの獲得に動いていたが、条件面で折り合いがつかず断念。だが、オープン戦最下位に沈み、チーム打率.212に終わった貧打が“ナベツネ”こと渡邉恒雄社長の怒りを買い、フロントは慌ててモスビー獲得再交渉に走ることになった。

 開幕直後の4月6日に外国人枠の兼ね合いもあり、自軍助っ人のデニー・ゴンザレスに対して解雇通告。他チームのコーチから「あの外野守備では投手がかわいそうだ」と同情される拙守で自滅したゴンちゃんは、フロントからの「あと3試合限り」という武士の情け的なラストゲームの舞台も、「ノドが痛い」なんて体育祭をバックレる高校生のような言い訳をかまして欠場すると9日に契約解除(直後に週刊誌上で巨人首脳陣批判をかますおまけつき)。

 入れ替わりで加入のモスビーは、来日直後にジャイアンツ球場での打撃練習で20スイング中9本のサク越えをかっ飛ばしたパワーと、誰にでも声を掛ける陽気な性格がチーム関係者を喜ばせた。なにせ前年在籍したフィル・ブラッドリーは暗い性格でチームになじめず1年で退団。さらに、同年オフに巨人が獲得しようとした外国人選手に対して「ジャイアンツだけはやめろ」となんだかよく分からない交渉妨害をされる事態に。その反省からか、あの80年代に活躍したウォーレン・クロマティのように、クリーンアップを任せられる実力とムードメーカー役を務められる陽気な性格の二刀流助っ人を欲していたわけだ。

「モスビー効果」と「デーブ効果」


大久保博元(左)とモスビー


 モスビーは4月21日のヤクルト戦(神宮)において「六番・センター」でデビューすると、いきなり第5打席で来日初本塁打を記録。雨天中止を挟んだ23日の同カードでも相手エース・西村龍次から2試合連発弾を放ち、2連勝の原動力に。背番号49は6連敗中のチームをよみがえらせてみせた。

 左打席内のオーバーアクションや外野守備時のクネクネとした独特な動きが人気となったが、それは終始動いて体を冷やさないようにするためだという。身長190センチのスリムな体型にアンダーストッキングをズボンで全部隠す足長スタイルも、当時の日本球界では斬新だった。5月12日には早くも巨人軍第56代四番打者に座り、年間を通して打率.306、25本塁打と期待どおりの成績を残す一方で時差ぼけに苦しむが、毎日1時間半の昼寝をルーティンに組み込み克服する。

 なお来日当時の週刊ベースボールを確認すると、ヤクルト古田敦也が表紙の4月27日号では『ロイド・モスビーは本物か!?』と巨人のドタバタぶりと獲得経緯を疑問視。しかし、2週間後発売のノーラン・ライアンが表紙を飾るゴールデンウィーク特大号では『驚異の新助っ人!! ロイド・モスビーの魅力と迫力』と、そのあまりのインパクトに大絶賛の特集を展開している。

 さて、そんなモスビーの加入から約3週間後にもうひとりの救世主が所沢からやってくる。5月8日に西武の大久保博元が中尾孝義とのトレードで巨人へ移籍。12日からベンチ入りすると代打で途中出場してマスクをかぶり、チームはサヨナラ勝ち。翌13日からは先発出場するようになり、デーブは前半戦終了時までに打率.300、12本塁打の大活躍でプロ初のオールスター出場に加え、球団から異例の2000万円の臨時ボーナスをゲットする。

 打てば負けない強運、強気なリード、感情を表に出すプレースタイルでチームを生き返らせ、一時最下位に低迷していた巨人は明るく陽気な「モスビー効果」と「デーブ効果」で首位戦線に再浮上。開幕直後の思いきった緊急補強が功を奏した形となり、最後までヤクルト、阪神広島と激しい優勝争いを繰り広げた(最終順位は首位ヤクルトにわずか2ゲーム差の2位)。

 ちなみに当時の世の中では、フジテレビの安田成美と中森明菜のダブル主演ドラマ『素顔のままで』が最終回で視聴率30パーセントを超え話題に。米米CLUBが歌う主題歌『君がいるだけで』のシングルCDは累計289.5万枚を売上げ、フジ月9ドラマは全盛期を迎えていた。同じく巨人人気も翌93年から13年ぶりに復帰する長嶋茂雄監督とゴールデンルーキー・松井秀喜によって、平成最高とも言える盛り上がりを見せる。

 まさにあのころの月9ドラマと巨人戦地上波中継は、誰もが一度は目にしたことがある“国民的娯楽”だったように思う。そして、わずか2シーズンの在籍期間ながらも、突然現れ、そのど真ん中で主役を張ったロイド・モスビーは、多くの野球ファンに鮮烈な印象を残したのである。

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング