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週刊ベースボール60周年記念企画

なぜ鶴岡は再びベンチに入ることになったのか/週べ1962年7月16日号【223】

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。

日本の酷使には反対です


表紙は巨人藤田元司


 今回は『1962年7月16日号』。定価は40円だ。5月26日、休養発表後、スカウト活動や監督交代のあいさつ回りをしていたはずの南海前(?)監督・鶴岡一人が急転直下復帰となった。

 これは鶴岡監督周辺の人物、南海本社重役の説得や、ファンの復帰要望書が球団に殺到したことなどがあったようだ。6月29日になって鶴岡監督自らが「オールスター後の復帰」を明言した。

 休養中に最下位だったチームを立て直し、評価を上げていた蔭山和夫代理監督は淡々と語る。
「ワシは親分の復帰を心から願っていたので本当にうれしい。ワシは与えられた仕事を一生懸命するだけだ」
 一方、鶴岡は自分のいない間に頑張ってくれた蔭山に対し、
「カゲの立場を十分考えて復帰の方法は考える。たとえばワシが総監督でカゲが監督になるとか」
 と、かなり気を使っているようだ。復帰に至るまでの詳しい心情の記述はないが、今後の号で出てきたらまた。

 南海では皆川睦男が昭和メモリー・シートという会社を立ち上げ、音の出るブロマイドの発売を始めたらしい。写真つきのレコードのようなものだろうか。

 メジャーの大投手で中日入りしたドン・ニューカムは、佐々木信也の連載対談に登場。妻が大反対で、日本にも一緒に来なかったと報じられた来日時の状況も、ここで説明している。

 ニューカムが当時、前妻との離婚の裁判をし、毎月の生活費を送る約束をしたのだが、その時点では球界を辞めた後の収入から額を決めていた。しかし、その書類に前妻がサインする前に中日入団が決まって収入が一気に増えた。当然支払額が変わる……。
 ここでの新妻ともども、弁護士に言われた作戦に出たのだ。
「妻が反対しているので、まだ決定したわけじゃないといってカモフラージしたんです」
 それで本当にごまかせたのか……。

 また、日本の投手の連投について、
「私は反対ですし、なぜそんなに酷使するか聞きたい。中日の権藤(博)が400イニング投げたというが、これはメジャーの3年分です」
 と批判。まあ、3年分は大げさかもしれないが、日米は試合数が違う。権藤の130試合で429回3分の1は、アメリカン・リーグ162試合で200回程度と比すれば、3倍近い酷使と考えても不思議ではないか。

 ニューカムは自ら「投手は無理」と伝え、ファーストでスタート予定となっていた。

 以下宣伝。
 週べ60年記念シリーズ『巨人編』『日本ハム編』『阪神編』『ロッテ編』が発売中です。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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