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プロ野球回顧録

大谷翔平で思い出す、マメで苦しんだ怪童

 

高校を2年で中退し、17歳でのプロ入りだった。左は東映監督・水原茂


 現地時間6月6日、エンゼルスの大谷翔平がロイヤルズ戦に先発登板し4回1失点も、右手中指のマメで降板となった。中指のマメは日本ハム時代も苦しめられ、降板の要因になったことがある。

 体質もあるが、リリース時、すさまじい力がかかる中指や人差し指の指先周辺にマメができる投手は少なくない。

 1959年の日本シリーズでは、南海・杉浦忠のマメが破れ、ボールが血まみれになったこともある。このとき杉浦は「シーズン終盤、故障で登板を避け、ボールを握っていなかったので指が軟らかくなったため」と話していた。

 打者は手のひらにマメができるが、手袋をつければ、ある程度予防できる。ただ、投手はそうもいかない。やはり久しぶりにボールを握り、投げ始めるキャンプなどにできることは多い。

 投手の場合、縫い目にかけて投げる際、中指、人差し指の指先は硬いほうがいい。これはマメというより、タコだと思うが、指先が硬くなってきたとき、その状態で保つため、ふやけないよう湿気を避け、風呂に入ったときもお湯につけないように指先を出したり、長い時間、手袋やグラブをしたままにしないように気を配るという人もいる。

 本誌でコラムを書いている川口和久氏(広島巨人)は、「投手のマメは育てるもの」と言っていた。

 水ぶくれのマメができにくいよう指先を硬くする、ということで言えば、大昔はキャンプ中、ポケットに常にボールを入れ、暇さえあれば指先でつつき硬くしようとする投手もおり、それを見て、ボールを入れてはズボンが伸びてしまうと、タバコ箱大の板にボールの革(縫い目つき)を切って張り、それをたたいたり、いじったりさせていたコーチもいたという。

 マメに苦しんだ投手といえば、浪商高2年夏に甲子園で全国制覇した後、中退し、1962年に東映(現日本ハム)入りした怪童・尾崎行雄が有名だ。史上最速、スピードガンがあれば160キロ超とも言われた快速球を武器に、1年目から20勝を挙げ、リーグ優勝に貢献したが、終盤は急失速。これは指先のマメに苦しんだのも一因だった。

 体質もあって高校1年生から苦しんだという中指と人差し指のマメは、水ぶくれのような状態から1週間ほどで破れる繰り返しだった。速球を投げる際はかなり痛みがあり、高校時代の大一番では痛み止めの注射を打って投げていたという。

 プロに入ってからは指先を硬くするため、小豆をお椀に入れたものを指でつついたり、鉄瓶を指で叩いたり、またマメ(タコか?)の形によって痛みが1個所に集中し投げられなくなるので、カミソリでデコボコを削ったりもしたという。63年オフのインタビューでは、「これ以上痛むならカーブ主体にする。変化球なら痛くないから」と話していた。

 今回の話はすべて体質があってのことではあるが、大谷は登板間隔や球数だけで見たら尾崎や杉浦の時代ほど“指先”を酷使しているわけではない。

 ただ、二刀流であり、試合で打撃をし、打撃練習をする中で、手袋をつけている時間はかなり長いことも確かだ。

 なかなか指先を鍛えにくいとは言えるのかもしれない。

写真=BBM
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