週刊ベースボールONLINE

プロ野球仰天伝説

戦後、闇市の大物から監督になった小西得郎/プロ野球仰天伝説169

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

球界参入の相談から……


松竹・小西得郎


 明大野球部の主将を務め、戦前は大東京(ライオン)、名古屋の監督をしていた小西得郎だが、戦後は東京の新橋で「仙台製作所」というニクロム線などを扱う怪しげな店を経営。警察からかくまった縁で、ヤミ米を扱う闇屋の親分とも懇意となり、のちの話になるが、その米を球団に横流ししたこともあったという。

 生来の面倒見のよさと、とにかく食糧があったことで、終戦直後、小西の事務所には自然と野球人が集まり、球界再開の話し合いも行われていた。

 小西は1949年、松竹の球界参入の際に相談に乗っていたが、なかなか監督が決まらず、最後は選手の岩本義行らに「どうせこんな店をやっていたって、いずれ捕まるから監督になってくれ」と言われ、「足を洗って」(小西)自ら、その任に就くことにした。

 初年度の50年からセ・リーグ優勝も果たしたが、チームの内紛に嫌気がさして1年で退任。52、53年には大洋(洋松)監督となり、その後は解説者として活躍した。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング