80年を超えるプロ野球の歴史は、それぞれの球団、それぞれの監督や選手たちが紡いできたものだ。1人1チームを原則に、名将、名選手たちが時空を超えて集結。オールタイムの“優勝チーム”を探してみよう。 勇者たちの記憶
プロ野球の創設に参加し、本拠地球場を持つ最初のチームとなったのが阪急だ。西宮球場は戦後の接収を免れ、プロ野球の再興へ迅速に動いたチームでもあった。だが、初優勝は32年目の1967年と、創設から初優勝までかかった時間はもっとも長い。
ただ、そこからは一気に黄金時代へと突入していく。初優勝に導いた
西本幸雄監督時代に5度、後を継いだ
上田利治監督は2期にわたって5度のリーグ優勝。88年限りでチームは
オリックスとなるが、ここでは阪急時代に限ってオーダーを組んでみたい。西本監督は大毎や近鉄の優勝監督でもある。最長の4連覇を率い、唯一の日本一監督、そして阪急としての最後の監督でもある上田監督が指揮を執る。
【ベストオーダー】
監督・上田利治
一(中)
福本豊 二(左)
簑田浩二 三(指)
加藤秀司 四(右)
長池徳二 五(一)ブーマー
六(二)
マルカーノ 七(三)
松永浩美 八(捕)
中沢伸二 九(遊)
大橋穣 投手
山田久志 黄金時代のメンバーに、最後のVイヤーでもある84年の主力が割って入るラインアップとなった。リードオフマンは“世界の怪盗”福本豊で、他の選択肢はない。守備でも不動の中堅手だ。二番は福本との名コンビで鳴らした
大熊忠義もいいが、その二番・左翼の後継者となって、83年にトリプルスリーを達成した簑田浩二を選んだ。
三番と四番は黄金時代から、そのまま加藤秀司(英司)と長池徳二(徳士)がシフト。打撃タイトルの常連2人に続くのが、84年の三冠王でもあるブーマーだ。一塁に加藤と、四番には長池と重なるが、ゴールデン・グラブ2度のブーマーが一塁に残り、打順は来日1年目の83年に多かった五番に回った。
黄金時代の五番打者だったマルカーノは現役終盤の六番に。打順だけでなく一、二塁間でも歴代屈指の助っ人がコンビを組む。左右の両打席から本塁打を量産し、阪急ラストイヤーの88年は四番も多かった松永浩美は若手時代の七番に。八、九番も黄金時代からのシフトで、司令塔の中沢伸二、名遊撃手の大橋穣が並んだ。60年代には捕手に
岡村浩二、遊撃には
阪本敏三がいた。遊撃では80年代に
弓岡敬二郎もいる。
個性派エースの系譜
阪急・山田久志
黄金時代の三塁手だった
森本潔、
島谷金二も優勝への貢献度なら松永に負けていない。助っ人の二塁手ではバルボンもいる。1リーグ時代には初代の本塁打王で兼任監督にもなった
山下実、ヘソの前でフライを捕るトリックプレーで沸かせた
山田伝、セーフティーバントの名人だった
西村正夫らの外野手もいた。あえて控えに温存したい外野手が代打27本塁打の世界記録を樹立した
高井保弘だ。
投手陣は黄金時代のエースだった山田久志を皮切りに、同じくサブマリンで、日本シリーズに強かったのが
足立光宏、指名打者制で唯一の完全試合を達成した
今井雄太郎、古くは
梶本隆夫、
米田哲也の“ヨネカジ・コンビ”ら個性派がそろう。いずれも息の長い活躍を続けたタフな好投手で、長期戦でも誤算は少なそうだ。対照的に短命だったが、クローザーは
山口高志。史上最速とも評される速球派だ。
黄金時代の強力打線を、さらに補強したようなラインアップで、福本に始まる攻撃パターンも明確。黄金時代を凌駕する快進撃で、王者の座へと一気に駆け上がりそうだ。
写真=BBM