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平成助っ人賛歌

マイク・ディアズ(ロッテ) 実写版アニメキャラのようなインパクトがあった“ランボー”/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

肩書きは“全米腕相撲チャンピオン”


丸太のような太い腕から本塁打を連発したディアズ


 子どものころ、シュワちゃんとスタローン、どっち派だった?

 30代から40代同士で一杯飲んで話題が尽きかけた深夜にたまにそんな話になる。平成初期、地上波テレビではゴールデンタイムの巨人戦ナイター中継が終わったあと、『日曜洋画劇場』や『ゴールデン洋画劇場』といった映画番組がよく放送されていた。まだBSやCS放送は一般家庭にそれほど普及しておらず、もちろん動画配信サービスもない。けどレンタルビデオ屋は小遣いの少ない小中学生にはハードルが高い。だから、手軽にテレビでやってくれる『ターミネーター』や『ランボー』は貴重だった。ちなみに放送は日本語吹き替え版が当たり前だったため、大人になってから初めてシュワルツェネッガーやスタローンが喋る英語を聞いた……というのも90年代あるあるのひとつだ。

 そう言えば、あのころのプロ野球界も登録名「ランボー」が実現しかけた外国人選手がいたのを覚えているだろうか? 消費税がスタートした1989年(平成元年)にロッテ・オリオンズに入団したマイク・ディアズである。俳優のシルベスター・スタローンに顔も体型も似ていることから、愛称のランボーで登録が検討されるも、映画会社との交渉が不調に終わり幻に。これだけでもダメ助っ人感は強いのに、肩書きは“全米腕相撲チャンピオン”だ。すごい、もはやそれ野球と全然関係ないんじゃ……なんて突っ込みは野暮だろう。

 だが、ディアズは開幕当初こそ日本のストライクゾーンに苦しむも徐々に実力で話題になり、6月には月間MVPを獲得。当時低迷期のロッテで落合博満以来の頼れる右のスラッガーとして大活躍を見せる。『斎藤雅樹(巨人)前人未到の11試合連続完投勝利!』の見出しが表紙を飾る89年7月31日号の週刊ベースボールでは、名物インタビューコーナー“大田卓司のこの男を斬る!”にディアズが登場。「日本で10年はプレーしたい。だからガンガンホームランを打つよ」という言葉どおりに7月14日現在、24本塁打はブライアント(近鉄)と並びパ・リーグのホームランダービートップ。60打点はブーマーオリックス)に次いで2位と伝説の助っ人スラッガーたちと肩を並べる爆発力で一躍人気者に。その絶好調ぶりをディアズ本人はこんな風に語っている。

「(パイレーツで2年連続2ケタ本塁打を記録した)メジャー・リーグでも12打席に1本の割合でホームランを打ってきたから、このくらいのペースで行くと思ってたよ。愛甲、水上、高沢……ほかにもいるけど、みんないろいろなことを教えてくれるんだ。あのピッチャーはこういうタイプだぞ、とかね」

 オールスターにも出場した1年目は130試合フル出場、打率.301、39本塁打、105打点、OPS.967の素晴らしい成績を残した背番号4のランボーは同僚の大エース・村田兆治を尊敬し、ロッカールームに村田が200勝を達成したときの新聞を貼る意外な一面も。毎日朝起きた直後と試合後に腹筋と腕立てを200回ずつこなす筋肉スラッガーは、2年目の90年シーズンも4月月間MVPと好調な滑り出しを見せるが、夏場にはなんと「キャッチャー転向」が話題となる。アメリカ3A時代、捕手でオールスターに4度選出された実績もあった男だが、野茂英雄が表紙を飾る週刊ベースボール90年8月6日号では『ブロック無用!? キャッチャー転向はホント? ディアズはすっかりその気分』という記事が掲載されている。

平成最初の打てる捕手誕生!?


捕手として90年は15試合、91年は6試合に出場した


 審判に暴行して30日間の謹慎中の(という無茶苦茶さに時代を感じる)金田正一監督も「あのキャッチングは他の者がマネできんほどにうまい。一度やらせてみるかな」なんてノリ気の発言。そして、カネヤンの復帰戦となった7月28日ダイエー戦(平和台)の6回途中に一塁を守っていたディアズは、福沢洋一捕手と代わり初マスクをかぶる。結局、ディアズは無難に来日初捕手をこなし、チームは1点差ゲームで逃げ切り、この試合で帰化前の荘勝雄とのNPB28年ぶりの助っ人バッテリーも実現した。マトが大きくて投げやすいと言われた巨体に、座ったまま一塁へ牽制球を投げる意外な強肩。打撃成績も前年に引き続き、打率.311、33本塁打、101打点、OPS.1019と平成最初の打てる捕手誕生……と思いきや翌91年6月12日の捕手起用でスローイングの際に右ヒジを骨折。それが打撃にも影響を及ぼし、92年限りの解雇につながる悲運のキャッチャー挑戦だった。

 なお“ランボー”のあだ名どおりに暴れん坊ぶりでも球場を湧かせ、判定が不満でバットをグラウンドに叩き付けたらそれが審判に飛んでしまい退場。西武ライオンズの若き四番バッター・清原和博平沼定晴に当てられた死球に激怒してジャンピングニーを食らわした乱闘騒動では、ディアズは規格外の突進力と怪力で清原をグラウンドに引きずり倒している。強烈なキャラクターと圧倒的なパワーとガラガラの川崎球場は、フジテレビの『プロ野球 珍プレー好プレー大賞』の常連だった。

 ニッポン列島が空前の好景気に浮かれていたあの時代、ド派手なハリウッドのアクション映画は根強い人気を誇っており、89年から90年にかけて『デッドフォール』『トータル・リコール』『ダイ・ハード2』といった作品が日本で公開されている。さらにテレビでは80年代の日本語吹き替え版アクション映画も頻繁に放送。子どもたちにとって、ランボーやターミネーターは孫悟空や大空翼と同じく身近なヒーローだった。だから、ロッテの背番号4の存在は実写版アニメキャラのようなインパクトがあったわけだ。ディアズは大田卓司のインタビューで、当時のすさまじいちびっ子人気をこんな風に語っている。

「電車に乗ると、日本の子どもが“ランボー、ランボー”って言って寄ってきて、オレの髪の毛を引っ張るんだ。これは勘弁してほしいな」

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
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