今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 鶴岡一人監督、復帰の理由
今回は『1962年10月8日号』。定価は40円だ。
ペナントレースはパが東映の優勝目前、セは阪神、大洋のデッドヒートが続いている。
大洋の
三原脩監督は、奇跡の逆転優勝に向け、魔術師らしい戦術を駆使。9月22日
中日戦では、スタメン中7人、当て馬を使ったり、投手の
秋山登を左打者
ニュークのときだけサードを守らせ、また投げさせたりと自在。
西鉄監督時代、
稲尾和久を苦手の大毎・
葛城隆雄の打席に一塁を守らせたのは知っていたが、サードとは驚いた。
三原と阪神・藤本定義監督との舌戦もにぎやか。以下は互いに記者を介してのやり取りで、直接ではない。
藤本「三原はピッチャーの使い方を知らん。あんな秋山を酷使したら終盤の大事なときにつぶれてしまう」
三原「秋山と村山(実)、小山(正明)の投球回数を見れば分かる。決して酷使ではない。藤本さんは昔から物の道理が見えないんだ」
藤本「三原は教え子。あいつは頭がいいから星勘定ではあいつの言うとおりになるかもしれん」
三原「教え子だなんてとんでもない」
監督の進退についてもウワサが出ている。
南海・
鶴岡一人監督については、なぜあれだけ大げさに休養会見を行いながら、2カ月ほどで戻ったのか、不可解さが残ったが、この号の記事では、後援者から「もし他球団に移るのならば、いっそう南海の指揮を執って終わりをまっとうしなくてはならん」と言われたからでは、と書いている。
鶴岡本人の言葉はないが、大毎との話がすでについており、ならば“立つ鳥跡を濁さず”と閉幕まで務め、退団するために復帰したのではないか、という内容だ。
南海でホームラン王をほぼ手中に収めた
野村克也が、
佐々木信也との対談に登場。いまもよく話している内容が2つほどあった。
1つは、「わしは南海電鉄という会社は大嫌いなんだ(笑)。だけれども南海のチーム自体はものすごく好きだからね」。
2つめは、「キャッチャーをしながら打つのは大変でしょう」の質問への答え。
「僕はいつも逆に考えるんです。キャッチャーをやっているからこれだけ打てるんじゃないかと。ヤマを張りやすいんですよ。キャッチャーの心理を取りやすいですしね」
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM