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パンチ佐藤の漢の背中!

“悪役商会”八名信夫、東映投手から俳優へ転身の理由は?/パンチ佐藤の漢の背中「01」

 

『ベースボールマガジン』で連載しているプロ野球選手の第2の人生応援プロジェクト「パンチ佐藤の漢の背中」。「現役を引退してから別のお仕事で頑張っている元プロ野球選手」のもとをパンチさんが訪ね、お話をうかがう連載です。今回は「元プロ野球選手」であることを知らない人も多いのではないでしょうか。「悪役商会」代表のベテラン俳優であり、元東映投手の八名信夫さんをお訪ねしました。

リリーフ登板と酒に明け暮れたプロ生活


パンチ佐藤(左)、八名信夫氏


 野球との出合いは、小学3年生のときだった。疎開先の岡山県平島にやってきた進駐軍の兵士たちが、昼休みに何やらボール投げをしている。「こんな面白えもんがあるのか」。とたんに自分もやってみたくなった。

 さっそく学校から小さな座布団を持ち出し、母親に軍手を縫い付けてもらって、即席グラブを作った。それでキャッチボールをしたのが、始まりだった。

 子どものころから体格に恵まれた信夫少年は、甲子園を夢見て名門・岡山東高に進学。その後、六大学のスターを目指し、明大へ進む。

パンチ 八名さんは明大を中退して、東映フライヤーズに入られたんですね。

八名 そう。当時明治のスター選手だった秋山登さん、土井淳さんが岡山東高の2級先輩でね。修学旅行で東京に来たとき、アキさんに「お前ら、神宮に見に来い」と呼ばれたんだ。行ってみたら、あの応援。「おお、明治〜♪」って、あれを聴いたとき、ぶわ〜っと鳥肌が立ってね。野球をやるなら、六大学だと思った。それが、人生の大きな間違いだった。

パンチ 間違いだったんですか!?

八名 毎晩のように、先輩から殴られた。アキさんと土井さんへのひがみ後輩の俺に向かってね。しかも1年生が60、70人おる中で、第一合宿に入ったもんだから。3年に上がるころには、「生意気だ」と、ますます先輩に殴られた。それで同級生の近藤和彦(大洋ほか)が「こんなところにいたら、殺されるぞ」「お前はもう、プロに行け」と言って、行き先が決まるまで俺を新宿に隠してくれたんだ。

パンチ そこまでやられながらも、リーグ戦で活躍すると、一瞬でもそのつらさを忘れて頑張れましたか。

八名 いや、俺、リーグ戦出てないんだ。新人戦で4の4打っただけ。ベンチもその日によって、入ったり入らなかったりだった(笑)。

パンチ それでもプロからお誘いが来たのは、やはり見るべきものがあったということですね。

八名 5チームくらい声を掛けてくれてね、東映フライヤーズがヨソの2倍くれるっていうんで、契約した。

パンチ プロに入って、「おおっ、これがプロか!」と最も感じたのは、どんなところでしたか?

八名 食べるもの。食い放題だった。

パンチ うまかったですか?

八名 それより、とにかく腹いっぱいになりたかったんだ。大学時代は先輩によそうばかりで、自分は冷え切った残り物を食べていたからね。しかも、プロの給料は5万円だ。当時、大卒の初任給がだいたい7000円。毎晩のように山本八郎とか稲垣正夫西園寺昭夫島田雄二といった面々と、銀座に行ってたよ。

パンチ それで練習のほうはどうしていたんですか。大丈夫でしたか?

八名 みんな酒臭いんだよ。だけど当時の岩本義行監督は、自分も飲むからね。酒に関してはうるさくなかった。だって伊東でキャンプのとき、監督がダグアウトでやかんを沸かしてお茶を飲んでると思ったら、酒なんだもん(笑)。

パンチ(笑)。ピッチングのほうはいかがでしたか。

八名 リリーフばかりよ。今はセーブとかホールドとかあるけど、その当時は5回投げても6回0点に抑えても、なんにも記録が付かなかった。

パンチ 当時はどんな球種を?

八名 今でいうスライダー。あれを俺みたいに下から投げると、腰を痛めるんだ。ものすごく腰を使うからね。それで、プロに入ってサイドスローに直されたんだけどね。

東映本社へ転職ではなく撮影所行きを命じられ……


東映フライヤーズでは3年目に試合中の事故で負傷、選手生命を断たれた


パンチ 対戦したバッターの中では、どなたが印象に残っていますか?

八名 山内一弘(毎日ほか)さんだね。山内さんには、カーブが通用しなかった。

パンチ ウチの父が山内さんの「和弘」を取って、僕の名前を「和弘」にしてくれたそうなんです。

八名 そうなの?

パンチ ただ、その後すぐ「一弘」に改名されたようで(笑)。そうか、やはり山内さんは打撃の職人でしたか。

八名 そりゃもう、カーブをライト方向に持っていくのは、とてもうまかったよ。しょっちゅう三塁打、二塁打の記録を作っていたね。

パンチ プロ野球で一番いい思い出はなんでしょう。

八名 あんまりないねえ。当時のエースが、米川(泰夫)さんって言ってね。ヨネさんが打たれると、監督がピッチャーに「おまえ、ゆうべ飲んだか」って聞くんだよ。飲んだヤツは、監督と目が合わないほうを向いてな。ウソでも「飲んでません」って言うと、「じゃあお前、次行くぞ。その次がお前」って、3人くらいリリーフをまとめて決めちゃうの。野球じゃねえ野球だった(笑)。

パンチ 野球をしながらも、酒を飲んだり遊んだりもして、素晴らしい青春、楽しく良き時代だったわけですね。そこから引退に至るまで、どんな経緯があったのですか。

八名 腰だよ。近鉄パールス(バファローズの前身)戦にヨネさんのリリーフで投げてね。2イニングくらいはよかったんだけど、3イニング目、モーションの途中、スパイクの歯がプレートの隙間に食い込んでね。それが抜けなくて足を取られ、一瞬のうちにバーンっと後ろに倒れて、失神。タンカで運ばれて、気が付いたら病院にいた。そのまま入院よ。

パンチ それは災難でしたね。どのくらい入院なさったんですか。

八名 東京に帰って、コルセットをはめて4カ月くらいかな。そうしたら当時の代表に、「八名君、君とは来年、野球では契約せんから、映画のほうに出なさい」って言われてね。俺は東映の本社で人事課か何かやるのかな、くらいに思ってた。

パンチ 事務か何かだろう、と。

八名 東映の本社で契約書みたいなものを書かされたあと、「君は撮影所のほうだから」「なんでですか?」「君は俳優になるんだよ」。え〜っ、俺が俳優? 右も左も分からんで、そんなところ(笑)。だけど、金がないから少しでも稼がなきゃいかん。

パンチ 高倉健さんもそうだったみたいですね。とにかくお金を稼ぐために、何でもやる、みたいな。最初はどんなところからスタートしたんですか?

八名 ニューフェースは6カ月間、俳優座で訓練する義務があるんだ。それで行ってみたら、男が何十人も黒いタイツを履いてな、足をバッタンバッタン上げ下げして踊ってるわけよ。それを見て、「こんなこと、わしゃできん」と(笑)。

パンチ 高倉健さんも、本にそんなことを書いていましたね。

八名 社長に「わしにはできません」と言ったら、「バカ言うな、高倉健だってやってきたじゃないか」だもん。それでお説教食らってな。「俳優なんてできません、辞めさせてください」って何度も社長に頼んだんだが、「お前の身元引受人は大川博オーナーじゃねえか。お前をクビにしたら、わしもクビになるんじゃ」ってなあ(笑)。

パンチ それで結局、タイツは履数に済んだんですか?

八名 済んだ(笑)。

パンチ よかった、八名さんがタイツ履いて足を上げて踊ってるなんて嫌ですよ(笑)。

<「2」へ続く>

●八名信夫(やな・のぶお)
1935年8月19日生まれ、岡山県出身。岡山東高から明大(中退)を経て、56年に東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)に入団し、試合中の負傷のため58年限りで引退。通算成績は15試合登板、0勝1敗、防御率3.86。引退後は親会社の東映で俳優として活躍し、数多くの映画、ドラマ、舞台などに出演。後に俳優集団「悪役商会」を結成した。現在は脚本・監督・主演を務める映画『駄菓子屋小春』を、熊本で熊本の皆さんとともに撮影中(今秋完成予定)。

●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。毎週日曜20時からFMたちかわにて『パンチ佐藤の“ガッツで行こうぜ!”』が絶賛放送中。

構成=前田恵 写真=山口高明、BBM
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