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編集部コラム

衣笠さんらしいお別れの儀

 

1枚だけカラ―の笑顔


初優勝時、スタンドに掲げられた幕


 6月28日、午前11時、広島駅から「お別れの会」が開かれるホテルへ。
 4階の会場に向かうエスカレーターの両脇には、衣笠さんの写真が飾られ、通路となるスペースにも、現役時代、高校時代、オフショットと、さまざまなモノトーンのパネルが置かれていた。

 通された広い部屋。飾り気のない祭壇では、衣笠さんが笑っていた。飾られていた膨大なパネルの中で、カラーはこの1枚だけだったと思う。
 シンプルながら、こまやか。さまざまな思いが詰まった、お別れの会だった。

 献花の後、順路にしたがって歩いていくと、もう一つの部屋に導かれる。ここにも多くのパネルが展示され、中央の大きなビジョンでは、カープ入団からの貴重な映像が流れている。

 若手時代、1975年の初優勝、1979年江夏の21球、1984年MVP、死球を背中にまともに受けながら、笑顔で立ち上がり、心配しないでいいとばかりピッチャーに手で合図を送りながら、一塁へ向かうシーンもあった。

 連続試合出場世界記録達成、国民栄誉賞、引退。そして初々しい解説者時代から現在、いや、ほんの少しだけ前まで……。

 爽やかな笑顔、ダンディな所作は、いつも変わらない。2016年以降、急激にやせられたようだが、直近の映像にもまだ、暗い影は微塵も感じられなかった。
 現役時代同様、うつむくことなく、あしたを信じ、生き続けたのだろう。

 最後、笑顔で終わった映像には、心を打たれる言葉がたくさん出てきた。カープを愛し、広島の街を愛し、野球を愛し、家族を愛した方だった。

 今回のパネルの準備、映像の制作、会場のプランニング。おそらく相当の時間がかかったはずだ。さすが衣笠さん、湿っぽくならずに、来場者の心をじんわりと温める、素晴らしい旅立ちの式だった。

 映像に、何かが足りないとすれば、仕方ないが、カープのユニフォームを着て、後輩たちを指導する姿だった。

 ただ、衣笠さんは、その代わりに解説者として、先輩として、カープの後輩たちにたくさんの思いを伝え続けてきた。
 いや、引退後だけではない。カープのユニフォームを着て、全身全霊をかけて戦ってきた姿が、チームに、そしてファンにもたらしたものは大きい。

 75年の優勝時、市民球場の客席にこんな幕が張られていた。
「何が何でも我等の衣笠」
 きっと、鉄人・衣笠祥雄の遺伝子は、カープの中に永遠に残るのだろう。

文=井口英規 写真=BBM
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