長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 シーズン終盤に起こった“奇跡”
1991年の阪神は残り18試合で早くも2年連続最下位が目前。秋風がビュービューと吹きまくっていた甲子園球場に、ある“奇跡”が起こった。
まずは9月22日の横浜大洋戦。お立ち台で涙を流した阪神先発・
中込伸の完投勝利からだ。
「すごくうれしいです。これまでなかなか勝てず、スカウトの方や田舎の監督、コーチのみなさんにも、ご迷惑をおかけしました……」
背番号は99と大きいが、89年のドラフト1位。右ヒジの手術もあり、これがプロ初勝利だ。この消化試合から、史上例を見ない“怪記録”がスタートした。
翌23日の同カードで、今度は新人ドライチの湯舟敏郎が先発での2試合連続完投勝利(完封)。さらに24日からの
ヤクルト3連戦の初戦で、88年のドライチ、
野田浩司が3失点完投勝利、続く25日には87年のドライチ、
猪俣隆が1失点完投勝利。これで4連続完投勝利だ。阪神にとって、77年4月7日の6連続完投勝利以来14年ぶりとなる。
26日、今度は90年のドライチ、
葛西稔が1失点完投勝利。まさに前代未聞、ドラフト1位だけの5連続完投勝利を達成した。
阪神は、これでこの年初の5連勝、3連戦初の3タテ、2年目の
中村勝広監督にとって、就任以来初の月間勝ち越しでもあった。この間、
和田豊、
八木裕、
オマリーら打線も好調。遅まきながら“勝ちパターン”もできてきた。
しかし28日、甲子園を離れた途端、“魔法”が解けた。
中日に8対9と逆転負け。以後、閉幕まで2勝11敗とダメ虎へと完全に逆戻り。ただし、我慢しながら5人を軸に作った先発投手陣は翌年も機能。リーグトップの防御率2.90を残し、2位躍進の原動力となった。
写真=BBM