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球界デキゴトロジー/7月5日

4時間55分の死闘に勝利し横浜大洋・高田博久が涙(1992年7月5日)

 

高田は同年1勝2敗だった


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は7月5日だ。
 
 1992年7月5日、大洋は中日と対戦。延長13回裏、一死満塁から青山道雄がサヨナラ打を放ち、4時間55分の死闘を制し、8対7で勝利した。
 青山は90年西武から移籍も同年、62試合で打率.143、91年は一軍出場なし。苦しい時期が長かっただけに、
「大洋に来て、初めて仕事をした気分。忘れられないヒットになりました」と涙目で声を震わせた。

 涙目どころではなかったのが、最後12、13回の2イニングを無安打、無四球、ついでに無三振で無失点に抑え込み、勝利投手となった高田博久だ。

 高田は86年ドラフト外で日本ハム入団。1年目には15試合に投げたが、以後、出番が減り、90年オフに自由契約。大洋には91年テスト生で入団し、当初は背番号もなかった。

 これがプロ7年目で初勝利とあって、ヒーローインタビューでは号泣。切れ切れに聞こえた言葉をつなぐ。

「もう野球をやめようと思った時期があっただけにうれしいの一言です……。野球を続けてきてよかった……」

 大洋・江尻亮監督も「高田の涙を見ていたら、もうダメ」ともらい泣きしていた。
 
 高田は同年15試合に投げ、1勝2敗も翌年は一軍登板なく引退。つまり、これがプロ唯一の勝利だった。

写真=BBM

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