今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 小山正明は移籍を否定
今回は『1963年2月4日号』。定価は40円だ。
阪神はアメリカでデトロイト・タイガースのキャンプに招待され、出発間近。キャンプ地はずばりタイガース・タウンだ。
ただ、まだ
小山正明が契約していない。要求額は3500万、球団からの提示は2000万と言われている。ただ、移籍説にはついてはきっぱり否定した。
「小山は阪神を出たいのでは、というウワサが立っていることは知っている。それけどまったくデマや。ワシは阪神でテスト生からやってきた人間や。阪神以外で働くとこなんてないと思うとる」
現役時代から、ぶっきらぼうで辛口。昔と比較する評論が多いことで誤解されやすいが、阪神愛は今でも強い人だ。
15歳でプロ入りし、16歳でデビューした
西沢道夫がコーチとして復帰したからではあるまいが、この年、
中日は中卒選手3人を獲得している。
この号では、その1人、
松本忍が紹介されていた。長崎県・諫早北中3年で投手。家庭の都合で高校進学ができず、中日の誘いを受けたという。西沢もそのプレーを見て、
「上手に育てれば、間違いなくものになる。私の楽しみが一つ増えた」と絶賛。
背番号は68。ただ、その後、名古屋中央高に通ってもいたようだから、実質練習生か。
選手の副業で国鉄の
土屋正孝の経営する「狂四郎」というナイトクラブの話が出てきた(土屋のニックネームが眠狂四郎)。お客さんは、ほぼホステスと同伴で早朝まで営業中とあった。
なんだか怪しい。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM