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ホークス80年

2度の日本一! 南海の黄金時代を築いた“親分”鶴岡一人監督/ホークス80年「栄光の歴史02」

 

1938年3月1日、南海野球株式会社が設立されてから80年が経過した。47年にチーム名が南海ホークスとなり大阪で黄金時代を築いたチームは現在、九州・福岡の地でダイエーを経て、ソフトバンクホークスとして栄華を誇っている。プロ野球史に燦然と輝くホークス。その栄光の歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていこう。

打倒巨人へチーム強化に自ら奔走


南海・鶴岡一人監督


「親分」と呼ばれた鶴岡一人(46〜58年は山本一人)は1916年、広島に生まれた。広島商に進学し、31年の甲子園センバツ大会に出場し優勝。33年のセンバツにも出場しベスト4まで進出した。卒業後は法大に進むと三塁手として好守で活躍している。

 職業野球と言われたプロ野球が発足したのが36年。初年度は東京巨人、大阪タイガース、名古屋、阪急などを中心に7球団でスタート。翌37年には8球団となり、3年目の38年3月に南海が加入した。37〜38年は春季、秋季と2シーズン制に分かれていて、南海は春季リーグには参加できず、秋季リーグから正式に参加。戦力不足ではあったが、11勝26敗3分けの8位で最下位は免れた。

 39年3月、南海は法大の鶴岡一人と契約した。当時は、東京六大学のスターが職業野球に入るとはなんぞやとかなりの批判を浴びた。というのも、37年の盧溝橋事件に始まり、上海事変などをきっかけに日中戦争が本格化。職業で野球をやることに対しての非難は大きかったのである。しかし、鶴岡は「どうせ軍隊に行くなら好きな野球をやりたいと思った」という。鶴岡は主力選手となり、プロ野球史上初の2ケタ本塁打の10本を記録し本塁打王のタイトルを獲得する活躍を見せた。

 期待された鶴岡だったが、翌40年に召集令状が届き入隊。戦前はプロ野球に関わることはできなかった。

 戦後まもなくプロ野球も再開。南海(戦中の44年は近畿日本)も近畿グレートリングとして連盟に復活。29歳の鶴岡に監督就任を要請し、選手兼任としてグラウンドに戻ってきた。

 そのプロ野球1年目の46年、チームは初優勝を果たしたのだ。終戦直後で食糧もない時代、中百舌鳥のグラウンドの近くの合宿所に選手を住まわせ、畑を借り、鶴岡は自ら畑を耕し選手の食糧難を解消しようと奮闘した。2年後の48年にも2度目の優勝を決めたが、この2度の優勝に欠かせなかったのが、投手の別所昭(のちの毅彦)だった。戦後3年間で通算75勝をマークし、まさに大黒柱だった。そのエース・別所を巨人に引き抜かれ戦力ダウン。1リーグ最後の49年はその巨人に優勝をさらわれた。

 50年、2リーグ制がスタート。南海(47年に南海ホークスに改称)はパ・リーグに加入。1年目こそ優勝を逃し2位に終わったが、51年からリーグ3連覇を達成。リーグの盟主となる。しかし日本シリーズでは別所のいる巨人にすべて敗れた。55年もリーグ優勝を果たし、日本シリーズでは巨人に対し3勝1敗と追い詰めたものの、またも別所の好投の前に屈し日本一を逃した。2リーグになってからの巨人は大型チームで、南海は機動力を得意とした、いまでいう「スモール・ベースボール」。どうしても巨人を倒したかった鶴岡監督は、大型チームを作るべく奔走した。当時はドラフト制度もなく自由競争。監督自らがスカウティングするなど、チームの強化に努めた。

パ・リーグ発足後、17年間2位以内


1959年、日本シリーズで巨人を破った後、大阪市内でパレードを行った


 56年から西鉄ライオンズにリーグ3連覇を許してしまったが、59年、2年目のエース・杉浦忠を擁し4年ぶりに覇権奪回。そして日本シリーズでは宿敵・巨人に、杉浦が4連投4連勝し見事に初の日本一に輝いた。打者の主力、野村克也は54年、広瀬叔功は55年、穴吹義雄寺田陽介は56年に入団。杉山光平は55年に近鉄から移籍した選手で、打倒・巨人のために作られた大型チームだった。

 鶴岡南海は以後、61、64〜66年にリーグ優勝を果たし、64年にはエース・スタンカを擁し、日本シリーズでは阪神を4勝3敗で破り2度目の日本一にも輝いている。

 65年オフ、監督勇退を決意し、蔭山和夫ヘッドコーチが監督に就任。鶴岡にはサンケイスワローズ、東京オリオンズから監督就任の要請があった。鶴岡が監督受諾の記者会見を行う予定だった朝、蔭山新監督が「急性副腎皮質機能不全」で急死。記者会見は南海の監督続投のものへと代わった。

 66年に9度目のリーグ優勝を飾るが、これが鶴岡にとっての最後の優勝となる。結局、南海一筋23年。通算1773勝は歴代1位。優勝=11回、2位=9回、3位=1回、4位=2回。パ・リーグが発足した50年から17年間2位以内というまさに南海の黄金時代を築いた「親分」だった。

<毎週金曜公開予定>

写真=BBM
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