長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 広島との熾烈なデッドヒートのなかで
鈍い音が客席まで届き、一瞬、満員の神宮球場が静まり返った。
1986年10月2日、
ヤクルト対巨人の6回一死。ヤクルト・
高野光の145キロのストレートが巨人・クロマティの右頭部のヘルメットに直撃。大きく三塁側にはねた。タンカで運ばれ、そのまま救急車で病院へ。試合後、「外角球と思い、踏み込んだのでよけ切れなかった。ぶつかった瞬間も覚えているし、大丈夫」と本人のコメントが出され、治療に当たった医師も「首に痛みがあるようだが、頭の中ではない。後遺症はないでしょう」と説明した。
8月に入り、首位に立った巨人だが、9月23日直接対決で敗れて
広島に抜かれ、さらに翌日、四番の
原辰徳が広島の守護神・
津田恒実の球をファウルした際、左手有鉤骨骨折で離脱。試合も敗れた。
だが、そこから巨人は息を吹き返し5連勝。再び広島を抜く。その原動力となったのが新四番・クロマティだ。そこでの死球。試合には勝ったが、
王貞治監督の眉間のシワがさらに深くなった。
翌3日、クロマティは再検査を受けた後、家に戻り仮眠。そこから自分で車を運転し、ヤクルト戦開始近くに神宮球場入りした。練習はしていないが、王監督には「代打でいいから出してほしい」と申し出た。
巨人は
水野雄仁が先発も初回、いきなり3失点。それでも3回表に3点を取って同点にし、マウンドに
斎藤雅樹を送った。クロマティもブルペンに向かい、投手の球筋を追う。いまさらバットを何回も振るより、目を慣らしたほうがいい。あとは1球で仕留めればいいのだ。
奇跡のひと振りでベンチも涙、涙
6回だった。二死満塁とし、打者は一番・
松本匡史。ここで王監督は決断した。クロマティの名を告げる場内アナウンスと同時に、すさまじい歓声が起こる。1ボール2ストライクの後、
尾花高夫の外角への速球だった。バットを一閃すると打球はバックスクリーン左へ。満塁本塁打だ。クロマティは右手こぶしを突き上げ、大きくほえた。
ホームにかえると選手、コーチが泣き笑いで次々抱きついてきた。巨人ファンからクロマティが好きな「バンザイ」
コールが起こった。
「みんな泣いていたし、オレも泣いたよ。ベリー・エキサイティング!」とクロマティ。一番泣いていた感激屋の
中畑清は「こんな試合をしたんだ。絶対優勝できるぞ!」と目をぎらつかせて語った。
この試合、8対3で勝利した巨人は、さらに翌日の
阪神戦にも勝ったが、広島も負けない。巨人は7日、同じ神宮でヤクルトに逆転負けし、ついにゲーム差なしながら2位転落。12日には広島の優勝が決まり、巨人はわずか3厘差で優勝に届かなかった。
写真=BBM