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社会人野球リポート

101年の歴史を誇る都市対抗野球大会とは?

 

第89回都市対抗野球大会は7月13日から12日間、東京ドームで行われる。1927年に第1回が行われた同大会は、101年の歴史を誇る伝統あるトーナメントだ。来年は節目の第90回大会。独自の大会システムでもある社会人野球の醍醐味を、ポイントに分けて説明する。

王者の証である黒獅子旗


昨年の第88回大会はNTT東日本が日本通運との決勝を制して、36年ぶり2度目の優勝を果たした


 第1回大会の舞台(1927年)は、前年に竣工されたばかりの神宮球場だった。社会人野球の聖地である後楽園球場の開場は1937年9月。都市対抗は翌1938年から使用され、1988年から現在まで東京ドーム(2011年の第82回大会は東日本大震災の影響により、京セラドームで10月に開催)が会場だ。

 1941年(第15回大会)は戦争拡大のため中止となり、1943〜1945年は第二次世界大戦のため、中断を余儀なくされた。1946年に再開後は昨年まで88回に及ぶ歴史と伝統を積み重ねてきている。

 トーナメントを制した優勝チームに手渡される優勝旗は「黒獅子旗」と呼ばれ、王者の証であるライオンが刺繍されている。洋画家・小杉放庵がバビロンのレリーフを参考にデザインし、第70回大会(1999年)から3代目を使用。閉会式で優勝チームの主将が応援席へ向かって黒獅子旗を掲げる瞬間こそ、大会のハイライトシーンと言えるだろう。

 また「黒獅子エンブレム」は第72回大会(2001年)に制定。優勝チームが1年間、袖に縫いつけて戦う。今大会は昨年、36年ぶり2度目の優勝を遂げたNTT東日本が着ける。

先人の偉業を称える表彰項目


 大会のMVP(最高殊勲選手賞)に当たる「橋戸賞」は第10回大会(1936年)に制定された。大会創設に尽力した橋戸頑鉄(本名・信)が死去した年であり、故人の功績を称え、表彰される最高の栄誉である。優勝旗の黒獅子旗同様、表彰選手が応援席へ掲げるのは、栄光の神髄と言える。

 第18回大会(1947年)からは、敢闘賞にあたる「久慈賞」が制定された。函館太平洋クラブ・久慈次郎(日本人初の日米野球勝利投手)は1939年、試合中の事故で亡くなった名捕手だ。初回は優勝チームに与えられたが、第19回大会(1948年)からは準優勝チームから選ばれている。

 第27回大会(1956年)には「小野賞」が制定。大会主催者である毎日新聞の記者・小野三千麿氏が発展に貢献した功績を称えて設定された。大会中に目覚ましい活躍をしたチーム、選手、監督と表彰対象は幅広い。

 活躍した新人選手には「若獅子賞」が、第44回大会(1973年)から制定された。社会人を代表する選手、プロを目指す選手にとって、同賞を獲得することが“登竜門”と言われている。

 このほか、1回戦の試合前には「10年連続表彰」が行われる。補強選手を含めて、継続して東京ドームの舞台に立つ功績を称えているのだ。

 また、都市対抗野球と言えば「応援文化」を外すことができない。まさしくグラウンドと運命共同体。優劣をつけるのは難しい分野だが、閉会式で応援団コンクールの最優秀賞、優秀賞、敢闘賞、特別賞、努力賞が表彰されている。

補強選手制度に見る「都市」の代表


 都市対抗独自の運営として「補強選手制度」がある。他のチームから選手を“助っ人”として借りることができるのだ。

 発案者は先に登場した久慈次郎。出場チームは、各地区予選で敗退したチームから3人まで補強できる(推薦出場である前年優勝チームは補強制度なし)。都市対抗は企業色と補強選手による融合で“地区代表”としての色が濃い。それが「都市対抗」と呼ばれる背景にある。

 もちろん、企業、クラブチームが母体となって出場するが、スコアボードの表記、アナウンスも“地域色”を出す。NTT東日本なら「東京都代表」と言った具合だ。都市対抗野球とは社員、地域社会の活性化に寄与しているのだ。

写真=BBM
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