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プロ野球仰天伝説

クローザー経験なしから絶対的守護神となったペドラザ/プロ野球仰天伝説208

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

コーチに適性を見抜かれて


ダイエー・ペドラザ


 先日、ロドニー・ペドラザがヤフオクドームに来場し、始球式を務めた。懐かしさを覚えたファンも多かっただろう。メジャー経験のなかったペドラザは1999年4月、ダイエー(現ソフトバンク)に入団。不動の守護神として99年の日本一、2000年のリーグ連覇に貢献した。02年限りで巨人に移籍したが、00、01年と2年連続で最優秀救援投手に輝き、外国人選手としては史上初の100セーブに到達するなど、ダイエー時代の4年間で117セーブを稼いだ。

「彼は、クローザーとして、横綱みたいなもの。そこまでの地位に上ったと思う」と当時の王貞治監督も絶賛したが、実はペドラザは米マイナー時代に、一度もクローザー役は務めていない。たった一度の経験はテキサス大3年時だったという。しかし、ブルペンで投げ過ぎるなどペースがつかめず、クローザーの役割を務めることができなかった。

「あのときは、もうまっぴらゴメンだと思った。だから日本で、クローザーとして、こんなにやれるとは本当に信じられないことなんだ」と当時、ペドラザは語っていた。

 ペドラザの適性を見抜いたのは尾花高夫投手コーチだった。99年4月7日に入団が決まり、二軍で調整登板したペドラザの投球に目を引かれた。スピードこそMAX140キロ台で、日本人とそう変わらなかったが、外角低めへ、しっかりとストレートを投げられるコントロールの良さ。そして何より、球持ちが抜群。腕が遅れてくるから、打者がすべて詰まっていた。

 球を受けた城島健司とともに、王監督に進言して指揮官も承諾。ペドラザも「オレは投げるチャンスが欲しいから日本に来たんだ」とそれを受け入れた。そして、篠原貴行吉田修司らとともに鉄壁のリリーフ陣を形成。ホークス黄金期への扉を開いた。

写真=BBM
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