週刊ベースボールONLINE

球界デキゴトロジー/7月21日

戻ってきた問題児ミッチェルが会見をすっぽかす?(1995年7月21日)

 

ホークスファンの出迎えを受けたミッチェルだったが……




 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は7月21日だ。

 1989年にはサンフランシスコ・ジャイアンツの四番打者としてメジャーで本塁打王&打点王、さらにMVPにも輝いていたケビン・ミッチェル
 故障に苦しんだ時期もあったが、94年にはストライキもあって95試合の出場ながら30本塁打、打率.326と打ちまくっていた。

 この男が翌95年、当時としては破格の4億5000万円(推定)でダイエーと契約したときは、誰もが驚いた。
 華々しい実績もそうだが、米球界では、わがままなトラブルメーカーとしても知られ、「そもそも本当に来日するの?」とまで言われていた。

 何しろメジャー時代の特技は「無断欠勤」「行方不明」。MVPの89年にしてもワールド・シリーズの練習を無断で休み、オフのMVP会見も勝手にキャンセルし、記者たちに待ちぼうけを食らわした。

 当時のロジャー・クレイグ監督のコメントもすごい。
「ケビンはそういうやつだから仕方がないよ。あいつは違う星から来た宇宙人なんだ」
 メジャー・リーグ評論家のパンチョ伊東氏も「実力はすごいが、問題はちゃんとグラウンドに来てくれるかどうか」と語っている。

 さらにプライベートでも暴行事件やらレイプ疑惑やら、なんだかすさまじいことになっていた。

 それでも巨人監督時代、プライドの高かったクロマティと信頼関係を築き、メジャーでも名前が知られていた王貞治監督ならなんとか使いこなせるのではないか、と言われていた(同年就任初年度)。

 最初は順調だった。開幕戦4月1日の西武戦(西武)で初打席満塁弾のド派手デビュー。
 しかしその後は右ヒザの故障を理由に欠場を繰り返し、成績が低迷。徐々に「地」が出てきた。

 球団指定の病院で2度にわたり、右ヒザが「支障ない程度」と診断されると、「アメリカの主治医に聞いてみたい」。さらに「球団が態度をあらためない限りプレーしない」と言い出した。
 結局、5月26日、「日本人は汚い。嫌いだ」の捨て台詞で無断帰国。瀬戸山隆三球団代表は「ミッチェルは契約を破棄したということだ。唖然としたびっくりしている」と語った。
 5月10日の試合が最後で、この時点の打率は.247だった。

 7月21日は56日ぶりにミッチェルが再来日した日だ。要はダイエー側と和解しての来日だったはずが、その日、午後10時に予定していた記者会見は「疲れたから」と得意のすっぽかし。4つの椅子が準備された会見場のひな壇にたった一人で座った瀬戸山代表は、怒りの表情で「元のスタイルに戻ってしまった」と語った。

 それでもミッチェルは復帰後、再び打ちまくり、8月8日までに33打数15安打、2本塁打、9打点。しかし、しかし、9日には「また右ヒザに痛みがある。アメリカの主治医に診てもらってくる」と言って11日に再帰国。「2週間で帰ってくる」と言ったが、あきれ果てた顏で言った王監督の言葉がすべてだろう。
「戻ってきた後、打ったことで、メジャーでまた来年からやろうという気になったんだろうね」
 そのまま帰らず、球団は解雇。その後、契約金の支払いでずいぶんもめたらしい。

写真=BBM

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング