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プロ野球仰天伝説

選手が一人もいない!? 初年度は当然の最下位に終わった広島/プロ野球仰天伝説214

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

広島出身選手だけで1チームを


新設された地元球団・広島巨人から移籍した白石勝巳。初代背番号1。53年シーズン中には石本の後を受け、プレーイングマネジャーに就任


 それまで8球団で運営されていたプロ野球に1949年、「2リーグ制」構想が持ち上がった。そのときはまず、2球団を新設して「10球団1リーグ」とし、機を見てさらに2球団増やして「2リーグ」に、というものだったが、球団増設の構想は各地の大企業や自治体を刺激。結局、セ8球団、パ7球団で50年シーズンがスタートすることになる。

 球団が8から15に増え、当然、どのチームも選手確保に躍起になる。最も選手確保に苦労したのが広島だった。

 広島は県と市、中国新聞などの共同出資で船出。「広島に広島出身選手だけで1チームつくろう」「特定の親会社の経営ではなく、自治体が出資することで、郷土の復興と青少年の健全な育成を果たす」の高邁な理想を掲げたのはよかったが、何しろ選手を集める資金がない。

「給料はいらない。人生の最後を郷土の復興に捧げる」と語った広島商出身で49年は大陽の監督を務めた石本秀一が監督に就任したのが12月5日。その時点で選手のメドは一つもついていなかった。石本はかつての広島商の教え子や、峠を越えた選手、中にはプロを引退し、実家で喫茶店を経営している元選手にまで声を掛けた。

 そうして12月29日に第一次選手として23人を発表。しかしその中には交渉中で入団に至らなかった選手も含まれた。寄せ集めチームの1年目は勝率.299で最下位に終わった。

写真=BBM
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