週刊ベースボールONLINE

甲子園ヒーロー列伝

横浜高・愛甲猛、甲子園の悪童(甲子園ヒーロー列伝05)

 

高校3年時はかなりふてぶてしい印象もあった


 
 プロ引退後の著書もあり、悪童の印象もあるかもしれないが、最初はアイドルだった。

 1978年夏の甲子園、1年生左腕エースとして躍動した。初戦(2回戦)では、徳島商高に11奪三振で、10対2と快勝の後、県岐阜商には0対3で敗れたが、横浜高・愛甲猛の名は全国に鳴り響き、前年夏に同じく1年生エースとして活躍した東邦(愛知)・坂本佳一の“バンビ”の愛称から“横浜のバンビ”とも呼ばれた。

 ただ、実際には1年生とは思えぬふてぶてしいマウンドさばきだった。このときはまだ、140キロ前後の速球だったが、大きなカーブを交え、この時点から完成度はかなり高かった。

 この夏の後、愛甲は一度、退部している。故障と上級生のねたみによる“いじめ”で、気持ちが切れたからと言われる。

 渡辺元智監督は戻った愛甲を自分の家に下宿させ、愛甲の心身をケア。野球部に復帰させた。

 翌夏は、ライバル、Y校こと横浜商高に神奈川大会決勝で敗れた。横浜商高は、甲子園ではジャンボ宮城(弘明。のちヤクルト)の好投でベスト4に進出している。

 最後の夏、主将となった愛甲はさらにたくましくなっていた。神奈川県大会では無失点の快投で甲子園に導く。ストレートの最速は145キロをマーク。あこがれの投手に、当時超一流の投球術で広島の守護神に君臨していた左腕の江夏豊を挙げていたが、打者を上から見下ろすような駆け引きは、まさに“江夏流”だった。

 県大会優勝の後、「全国制覇を狙います」ときっぱり。いわゆる“爽やかな球児”とは真逆の自信満々のキャラで、2度目の甲子園に立った。

 まず、1回戦の高松商高(香川)戦は8対1と大勝。バットでも4打数2安打、うち1本はライトスタンドに飛び込む豪快なホームランだった。続く江戸川学園高(茨城)にも9対0と大勝したが、鳴門高(徳島)戦は1対0の接戦となる。

 ただし、愛甲のピッチング自体は、前半はカーブを多めにしながら打たせて取り、後半になってストレートのギアを上げる心憎いもの。続く準々決勝・箕島高(和歌山)戦も熱闘になり、横浜高は3対0とリードするも粘る箕島高に1点差まで詰められた。

 それでも何とか逃げ切り、翌日の準決勝でも天理高相手に3連続完投勝利。
 決勝の相手は早実(東京)だった。

 早実には、かつての自分と同じく1年生エースの荒木大輔が騒がれていた。アイドル的に人気を誇った選手で、愛甲、荒木の対決に日本中が注目。
 愛甲は試合前、「荒木君に投げ勝つ自信はあります。緊張感はまったくありません」と言い放ったが、実際には疲労の蓄積で足がだるくて仕方がなかったという。

 試合は荒れ、荒木が4回で降板。被安打9、4失点の愛甲も6回からマウンドを降り、一塁に回った。それでも二番手投手の踏ん張りもあって優勝。仲間たちから胴上げもされた。
「うれしいです。野球をやめないでよかった。心配かけた母も喜んでくれると思う」
 と涙を流した。のち自著で、中、高校時代のヤンチャな逸話を明らかにしたが、それは決して甲子園のマウンドを汚すものではない。

 それはそうだ。真夏の甲子園は、中途半端な覚悟で立てる場所ではない。
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング