長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 球団減のターゲットとなった広島
1950年、8球団でスタートしたセ・リーグだったが、西日本が西鉄と合併、パ・リーグに移ったことで51年には7球団となり、試合運営に支障をきたしていた。
そこで出来たのが「あるチームの年度勝率が30パーセントに達しないときは当該クラブに対する以降の処置を理事会が決定する」という連盟規定だった。リーグが目論むのは6球団制で、そのターゲットとなったのが50、51年と連続最下位の広島だった。
52年は8月末からの1カ月で27試合の過密日程。9月28日夜、石本監督は名古屋の宿舎に全選手を集めた。
「死んでも勝とう」
翌日のダブルヘッダーに1勝1敗。名古屋からこの年2つめの白星を挙げた。これで勝率.290、松竹が.288。ようやく最下位を脱出した。
結局、37勝80敗3分けの勝率.316の6位。最下位に落ち、勝率3割を下回った松竹は連盟の裁定で大洋(現
DeNA)と合併。洋松ロビンスとなる。
その後、松竹から小鶴誠、
金山次郎が加入することになるが、その獲得資金1000万円を捻出したのが後援会。「2万の後援会員が500円ずつ」で、本当にかき集めてしまった。
写真=BBM