今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 伝説の接骨医・吉田増蔵
今回は『1963年7月1日号』。定価は40円だ。
巨人が早くも独走態勢になってきたが、試合の中では大きなケガ、小さなケガは起こる。そこで巨人が契約していたのが、伝説の接骨医、吉田増蔵だ。
死球で頭蓋骨にひびが入るような大けがでも、手技で骨を正しい位置に戻し治してしまったという話がたくさんある。
このときは
柴田勲が試合前練習で自打球を右足甲に当て大きく腫らしていたが、十数分、その足首を曲げたり伸ばしたりさせているうちに痛みがすっと引き、試合にも出たというからすごい。
この方については、いずれまた紹介することもあるだろう。
この年は大雨で100試合以上が流れ、6月中旬に日程会議が開かれ、9月にすさまじい日程を組んだ。
特に150試合制にしたパがすごい。
同年優勝した西鉄は、8月に25試合、9月はなんと29試合、うちダブルヘッダーは8回、16試合だった。いやはや、ご苦労様です。
ただ、最後に笑う西鉄だが、6月半ば時点は4位。パは南海が独走していた。
兼任監督ながら、故障もあってなかなか試合出場が増えない
中西太には交代説も噂されていた。ただ、これは単純に成績低迷の責任を取ってというより、選手に徹し、もっとプレーヤー中西を見たい、というファンの声もあってだった。
またスイッチで話題となっている巨人・柴田にあやかってか、なぜかスイッチになる投手が増えており、東映・
土橋正幸に続き、大毎の
堀本律雄も左に。
「あんまり右でヒットが出ないから試しにやってみた」
というが、結果はキャッチャーゴロだった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM