今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 巨人・柴田勲が2人の画期的な表紙
今回は『1963年8月5日号』。定価は10円上がって50円だ。
表紙はかなり斬新。売り出し中のスイッチヒッター、巨人・柴田勲の左右打席を2枚、背景には大きな白球だ。
この号は柴田の少年時代からの写真を並べた企画が一挙6ページ。タイトルにもあったが、まさに『スター誕生』だ。
巻頭はマンモス座談会。オールスター期間中なので、そこでやったのだと思うが、巨人・
長嶋茂雄らセ、パ15人が出席。おそらくはいくつかに分けて行い、合体させたのだと思うが、それでもすごい。
大毎オリオンズのオーナー、永田雅一の取材記事もあった。
永田は、もとからフランチャイズがあるプロ野球は都市名を名乗るべきと考えていた。
「大毎オリオンズであれば、大映も毎日も関連のあることだが、お互いにマスコミの商売をしているのに、逆に自分の宣伝をしとる。おかしいじゃないか。第一僕からしたら映画を見にくる観客も、プロ野球を見にくる観客も変わりないんだ。オリオンズは東京のものであるとして、とにかく地名に変えるべきだと思う。基本的な線の東京という地名の下に何とつけるかだ。東京オリオンズでオリオンズが売れているかそのままいくか早急に決めなきゃならんと思っている」
大毎は大映ユニオンズと毎日オリオンズの合併によって誕生した球団だが、大映ユニオンズも実は大映スターズが高橋ユニオンズを吸収合併した際、つけたもの。現状、毎日の経営参画はまさに名前だけの状態でもあり、球団名は永田会長次第ではあった。
ただ、大毎自体の存続についてもウワサがあった。サントリーが買収し、大毎サントリーズとなるらしいというものだ。
永田会長は噂を一蹴し、最後、こう言い切る。
「ウチがつぶれるとか余計な心配をせんで、もっとプロ野球らしい野球をするように、みんなで世話を焼いたらどうだ。わしの目の黒いうちは絶対にやるぞ」
またあした。
<次回に続く>
写真=BBM