今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 盗塁王はセが先だった?
今回は『1963年8月12日号』。定価は40円だ。
巻頭は7月28日の
広島戦(広島市民)で通算100号を放った巨人・
王貞治。
阪神ほかの
別当薫、西鉄・
中西太に続く史上3番目のハイペースだった。
巨人はこの王と長嶋茂雄のバットで独走態勢となっている。
以前、この年、イースタンの巨人─国鉄戦が開催されていないという話を書いた。
巨人の親会社・読売新聞と国鉄の実質経営・産経新聞の拡販競争に巻き込まれた形で、球場外に両新聞社の社旗をどの範囲で立てるかまで対立。この時点でも2試合しか行われていなかった。
ただ、好調巨人の正力亨球団副社長が、今後10年は続く黄金時代構築のためファームの強化を宣言。同時に産経に働きかけ、このカードをどんどんやっていきたいと話している。
オールスターでは南海・
広瀬叔功、巨人・
柴田勲の韋駄天対決が話題になった。忍者の広瀬、ジェット機の柴田と言われていたらしい。
広瀬はいう。
「ワシと柴田を比較するのはやめてもらいたいんや。若いもんと競争するなんてもうしんどいねん。ワシも年や。もう27歳や。
それにな、ワシが盗塁したかというて、一体に何になるんや。盗塁王いうタイトルがあるんやったらワシはやるで。そやけどワシらは盗塁してもカップ1つれんのや。ワシは銭にならんことはやらんことにしているのや。
そりゃチームのためになる盗塁やったらやるけど、自分の記録ふやしてもしゃあないもんな。そやから、走りたくないときは、もうボサッとしてることにしてるんや」
広瀬の通算盗塁成功率82.9パーセント以上。これは300盗塁以上では歴代最高成績である。
ちなみに、この記事でパにはなかった盗塁王の表彰(64年から)がセではすでにあったことを知った。いつからだろう。
またあした。
<次回に続く>
写真=BBM