アルプスで鳴り響いたバースデーソング
愛工大名電・柳本は報徳学園との3回戦(8月16日)で18歳の誕生日を迎えた。勝利で飾ることはできなかったが、仲間と最高の3年間を過ごすことができた
2018年8月16日
第100回=3回戦
報徳学園(東兵庫)7−2愛工大名電(西愛知)
甲子園のファンは、空気を読むのがうまい。
1回表、愛工大名電の攻撃。無死一、二塁で三番・
柳本優飛が打席に入ると、三塁アルプス席からバースデーソングが流れた。祝福の手拍子はネット裏、そして、報徳学園の一塁アルプス席まで広がった。スタンド同士、敵味方関係ない心温まる「フェアプレー精神」が凝縮されたシーンだった。
「今までで一番大きな声援。この18年で一番、幸せな瞬間でした。一生、忘れることはないと思います」
誕生日を「8強進出」で飾りたいところだったが、愛工大名電は2対7で負け、3回戦で敗退した。
柳本は1年夏から「一番・左翼」でレギュラー。愛工大名電のユニフォームにあこがれ、大阪から越境入学し、倉野光生監督から「
イチロー二世」と大きな期待をかけられた。
同校は全寮で、甲子園期間中を含めて携帯電話の使用も禁止。帰省できるのは原則、年末年始のみと、今回の自身初の甲子園は「地元の人たちに元気な姿、成長したプレーを見せたい」と位置付ける舞台だった。
2つの挫折を味わっている。昨秋、愛工大名電は県大会準々決勝(対中京大中京)で7回
コールド敗退(3対10)を喫した。最近の「名電野球」と言えば、バント&バスターを多用するスタイルが定着していたが、100回記念大会に勝負をかけるため、「超攻撃野球」に切り替えた。チームとして肉体改造にも着手。柳本もプロテインを摂取して3カ月で体重を7キロ増やした。それまでは単打が多かったが、「バントの時間は打撃練習に費やす」という徹底ぶりで、柳本もパワーアップした。だが、昨年12月には右足を骨折して、全体練習から離脱する悔しさを経験している。
「つらい時期を耐えてきた。正直、大阪へ帰りたいと思うこともあった」
数々の逆境を乗り越え、甲子園へやってきた。「一番・右翼」で出場した白山との2回戦では4安打の大活躍で、倉野監督就任以降では初となる夏1勝をマーク。しかし、目指していた「全国制覇」の壁は高かった。
「同期15人の中でも1年夏から使っていただいたのは自分だけ。『全国制覇』という形で監督に恩返ししたかったが……。仲間と一緒に過ごしてきた3年間は、自分の人生で最も濃かった時間。感謝しかないです」
場内の大声援が記憶に残ったが、もう一つ忘れられない1シーンがある。
「(バースデーの)曲が流れた後にサインを見ると、監督が『おめでとう!!』と拍手をしていたんです。声援を聞いて、反応したのだと思います」
倉野監督は寮で、選手と寝食をともにすることもある熱血漢だ。“父親”のような笑顔が、柳本の記憶に深く刻まれた。今後は地元・関西の大学へ進学し、4年後のプロ入りを目指すという。しかし、柳本の高校野球はまだ、終わらない。卒業まで寮に残って、新チームを献身的にサポートしていく。
文=岡本朋祐 写真=石井愛子