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球界デキゴトロジー/8月18日

ダイエー・秋山幸二、2000安打達成(2000年8月18日)

 

これは2000試合出場時。記録達成で花束を贈られ、声援にこたえる秋山


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は8月18日だ。

 1980年代後半、メジャーに移籍しても通用するのはだれか。
 あるいは、少年時代、野球以外のスポーツ、たとえば陸上競技に進んでオリンピックに出て、金メダルを取れる選手がいるとしたら誰だろうか、という話になったとき、多くの人が口をそろえたのが、西武(当時)・秋山幸二だった。
「あいつならできる」と。

 いまとは違う。
「世界レベル」を、はるか上に感じていた時代だ。

 西武時代は、清原和博の陰に多少、隠された感もあったが、攻守走トータルでの実績は勝る。何せ、年度は違うが、40本以上、50盗塁以上を達成した史上唯一の男でもある。

 加えるなら、この選手のすごさは年齢を重ねてもパフォーマンスが落ちなかったことにある。99年の日本シリーズ(対中日)、外野フェンスを駆け上がるような美技はいまも語り草だ。

 秋山が通算2000試合出場、通算2000安打を達成したのが、2000年8月18日。すでにユニフォームが西武ライオンズから福岡ダイエーホークスに変わって7年目、38歳となっていた。
 
 対ロッテ戦(北九州)。黒木知宏の速球をとらえた打球が三遊間を破り、史上28人目の快挙を達成した。プロ20年目の達成だった。

 かつて「ホームランの打ち損ねがヒット」と話していた秋山だが、ダイエー移籍後の94年は福岡ドームの高い壁に阻まれ、ホームラン数は伸びず、スタメン定着から9年続いていた30本塁打以上も止まった(24本)。

 ただ、これは力の衰えというより、打者のタイプもある。
 当時の巨人監督、長嶋茂雄氏が“浪人時代”にこう言った。
「秋山君も私もライナー型。ところが王(貞治。巨人。当時ダイエー監督)、田淵(幸一。阪神ほか)は45度の角度で上がっていく。いわば、ジャック・ニクラウス型、秋山君と私はアーノルド・パーマー型。この違いはどうしようもないものです」
 たとえが古いがご理解を。

 秋山はフェンスの高い福岡ドームでホームランのこだわりを捨てたが、圧倒的な身体能力を生かした攻守走でダイエーを常勝軍団に導いた超スーパースターだった。


写真=BBM
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