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夏の甲子園 名勝負列伝

横浜×PL学園、濃密なる3時間37分/夏の甲子園 名勝負列伝

 

いよいよ100回目の夏の甲子園が始まった。『週刊ベースボール』では、オンライン用に戦後の夏の甲子園大会に限定し、歴代の名勝負を紹介していきたい。

引き分け再試合を覚悟した松坂だったが……


力投する松坂。「正直、早く終わりたいな」と思っていたという


1998年8月20日
第80回大会=準々決勝
横浜(神奈川)9−7PL学園(南大阪)
※延長17回

 1998年夏、準々決勝の横浜−PL学園戦。横浜は“平成の怪物”と呼ばれた松坂大輔(現中日)を擁し、その年のセンバツに優勝。松坂は5試合すべてに完投し、防御率0.80と完ぺきなピッチングを見せた。この夏の注目も、横浜、いや松坂の春夏連覇なるか、の一点に集中していたと言ってもいい。

 ただ、3試合を自責点ゼロで勝ち上がって迎えた、この準々決勝、そして翌日の準決勝の2試合は、あまりに劇的だった。そして、だからこそ「松坂大輔」は、甲子園の歴史の中で一際、まぶしく輝いている(決勝も含め、3試合と言ってもいい)。この2試合なしに、仮に、松坂が圧倒的な力を見せつけ、横浜が優勝したとしても、それはただ、「松坂がすごい」で終わっていたかもしれない。

 この2試合がすごいのは、松坂以外の横浜ナイン、そして相手チームの選手たちもまた、輝いたことだ。まさに奇跡と呼んでもいいだろう。

 あまりにもいろいろなことが起こり、かつ当事者たちの声で、何度となく語られている試合なので、ここでは、その流れだけの紹介とさせていただく。

 まず、2回裏、前日の試合で148球を投げ、もともとスロースターターだった松坂にPL打線が襲い掛かる。自らの野選と4安打で、いきなり3失点。PLは横浜バッテリーを研究し、捕手・小山良男(のち中日)の動きのクセから、ストレート、変化球の違いを見抜き、横浜はまた、それを察知し、小山が試合中に修正。まさに、プロ顔負けの駆け引きもあった。

 PLは左腕・稲田学が先発し、3回までノーヒットに抑えるも、今度は横浜打線が4回表に2点を奪い、さらにその裏にはPLがさらに1点を追加も、横浜は5回に2点。4対4の同点となった。

 7回からPLは満を持して上重聡が登板。その裏、1点を追加したときは、このままPL勝利か、という空気になった。

 しかし、そんな簡単なゲームではなかった。8回表に横浜が1点を奪い、同点とし、延長戦に。11回には1点ずつを取り合い、さらに試合は続く。

「走り寄ってでもタイムをかけさせていれば……」


 ただし、松坂は延長に入って覚醒し、12回から15回はパーフェクトに抑え、対してPLの上重は、毎回のように走者を背負う苦しいピッチング。それだけに16回表に横浜が1点を勝ち越した際は、このまま決まるかに思えたが、その裏、横浜の守備の乱れもあってPLがまたも追いついた。

 17回表、ベンチで「これは18回引き分け再試合か」と思っていたという松坂の肩をたたき、「俺が打ってくるから」と言ったのが、途中出場の常盤良太だった。そして二死一塁で回ってきた打席で、まさに宣言どおりの勝ち越し2ラン。右翼を守っていた平石洋介(現楽天監督代行)の頭上を越えていった。

「打った瞬間、行ったな、と。正直、複雑な気持ちだったんです。延長に入ってからリードは許しても1点だったのが、2点だったので。ただ、『2点か……』と思いながらも、まだいけるやろ、と。周りにも、そう声をかけていましたね。でも、そのホームランの前、エラーでランナーを出してしまっていた。あのとき僕は外野から『タイムをかけろ!』と叫んでいたのですが、届かなくて。仕方がないかな、と思っていた直後にホームラン。走り寄ってでもタイムをかけさせておけばよかったなと……」(平石監督代行)

 17回裏はもう、PLに反撃の余力はなかった……。9対7、劇的な試合は、横浜の勝利で終わった。

写真=BBM
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