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プロ野球1980年代の名選手

江川卓【後編】真っ向勝負の魅力に取りつかれた男/プロ野球1980年代の名選手

 

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

逃げることが大嫌い


巨人・江川卓


 右肩痛に苦しめられながらも、1984年のオールスターでは、全盛期を思わせる投球を見せる。第3戦の4回に2番手で登板すると、打者8人から連続奪三振。71年に江夏豊(阪神)が演じたオールスター記録の9連続奪三振の再現なるかと盛り上がった。オールスターでは規定により1人の投手は3イニングしか投げられず、9連続が実質的な最多記録だ。
しかし、9人目の大石大二郎(近鉄)に2球続けてのストレートで0ボール2ストライクとした後、カーブを投げて二ゴロ。のちに明かしたところでは、カーブで三振振り逃げにして、10個目の新記録を狙おうと思ったのだという。

「ストレートなら三振だったかもしれない。でも、9連続は江夏さんがいるでしょ。2番目では意味がない」

 85年には右肩痛が悪化して11勝にとどまり、一度は引退を決めたというが、中国鍼が効果を上げたこともあり、だましだましの投球を続けた。翌86年は16勝。防御率も4年ぶりの2点台と盛り返す。87年も好調。しかし、13勝5敗という数字を残しながら、選んだのは現役引退だった。

 9月20日の広島戦(広島市民)。9回裏二死まで、小早川毅彦のソロによる1点のみで、完投勝利は目前だった。走者を二塁に置いて、打席には小早川。捕手の山倉和博はタイムを取って「カーブで行くぞ」と確認したが、譲らなかった。内角高めへの渾身のストレートは、右翼席の中断へと弾き返されてサヨナラ負け。

「ああ、自分の野球人生は終わった」と思ったという。

 マウンドを降り、報道陣に囲まれたときには、すでに号泣していた。そのときは誰も、引退を決めていたとは思わなかっただろう。

 基本的にはストレートとカーブの2種類だけ。ストレートはスピードガンでは153キロが最速だったが、ただ速いだけでなく、終速、つまり打者の手元でも球速が落ちないのが特徴だった。内角を突いて打者をのけぞらせてから外角で勝負する、などではなく、最もスピードが出る高めのストライクゾーンに投げ込んで、打者が振ったバットの上をボールが通過していくのが理想と考えていた。自信を持って投じた勝負球を完璧に本塁打とされたとき、気持ちが切れたのだろう。

 速球勝負、真っ向勝負の魅力に取りつかれたような男だった。とにかく、逃げることが大嫌い。自己満足ではなく、見ているお客さんに失礼、という思いがあったからでもある。

「そういう勝負をすれば、必ず次も、そういう緊張感か何かを見に来てもらえる。最初に歩かせるっていう行為がないということが、もう来てもらった人に対するお礼なんです」

最高のライバルは掛布


 敬遠も嫌った。85年から2年連続で三冠王に輝いた同じく阪神のバースとも真っ向勝負。85年には、巨人の監督でもあった王貞治が現役時代に樹立したプロ野球記録のシーズン55本塁打に迫っていたバースと対決、3打席で1安打のみに抑えたが、翌86年には、やはり王の持つプロ野球記録の7試合連続本塁打に迫ったバースと5打席すべてで勝負して、5打席目に場外弾を浴びた。 

 特に、阪神の四番打者で、同学年でもある掛布雅之を打席に迎えたときは徹底していた。1度だけ、掛布の打席で敬遠のサインが出たことがある。浮き上がるような快速球をバンバン投げた。掛布は言う。

「彼のボールはスイングの上、イメージした軌道の上を行く。だから、そのボールに勝つスイングをしなければならない。対戦のたびに自分のスイングに対する答えのようなものを教えてくれるんです」

 最高の球をインハイへ投げ込み、掛布もまた、最高のスイングで応えた。そこには、いつもギリギリの勝負があった。現役時代の2人が、肩を並べてじっくりと語り合うことはなかったが、白球を通じて、より濃密な会話を交わしていたといえるだろう。

 次回は、そんな掛布の視点から、この名勝負を、そして掛布の80年代を追いかけてみる。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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