今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 天秤棒打法の秘訣は右ヒザ?
今回は『1963年10月7日増大号』。定価は10円上がって50円だ。
巨人・長嶋茂雄と
広島・
古葉毅の首位打者争いが熾烈になってきた。
9月22日時点で長嶋.342、古葉.337。長嶋が「ここ2,3試合で一度は古葉に抜かれるが、俺はあと15試合のところで抜き返すよ」。死球を受けた指がそのくらいには完治するの意なのか。
一方の古葉は「巨人より残りゲームが多いから先に長嶋さんが終わって、目標を決めてくれるといいですね」とタイトルに意欲を燃やしていた。
南海・
野村克也は9月23日現在で41本と
小鶴誠の日本記録51本塁打更新に向け、順調だ。ただ、野村自身は目標を自己最多44本塁打更新と語り、51本については「あっさり甲を脱ぐよ」と無関心を装っていた。
日本におけるリリーフ投手の確立は明確なスタートの判断が難しい。
通常、“8時半の男”と言われた65年の巨人・
宮田征典からとあるが、62年、広島・
竜憲一が60試合で19完了、南海・
杉浦忠が43試合で同じく19完了とリリーフ専門投手は徐々に誕生していた(杉浦は血行障害で長いイニングが投げられなかった)。
ただ、2人の防御率はともに3点台。守護神とはとても言えず、最多交代了はセが大洋・
秋山登の32、パが近鉄・
久保征弘の29。先発が合間に抑えを兼ねる球団がまだまだ主流だった。
その中で、この63年の宮田征典が元祖と言ってもいいのではないか。
47試合に登板し、交代了はリーグ最多の25、防御率は1.88となっている。
当時の球界であれば、このくらいのピッチングをすれば自然と先発に回っていくが、宮田の場合、心臓に持病があり、長いイニングを投げることが難しかった。
本人も「僕は先発ではない。ただ、いつも1回表一死も取れず、先発が崩れてもマウンドに上がるつもりでいる」と言う。訓練し「いまは15球で肩ができる」とも語っている。
天秤棒打法の大洋・
近藤和彦が自身の打撃について語るコーナーもあった。
ただ、「なんとなくやっているうちにそうなった」と構えにはさほどこだわっていないようだ。
むしろ大事にしていたのは、踏み出す右ヒザ。ここを柔らかく使い、投手の変化に対応しているという。
基本記事は午後13時までにアップ目標だが、時々所用で遅れてしまいます。
ご容赦を。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM