今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 謝罪した西鉄・中西太監督
今回は『1963年11月11日増大号』。定価は10円あがって50円だ。
巨人、西鉄の日本シリーズが始まった。今回はその1、2戦が報じられている。
舞台は平和台。直前に奇跡の逆転優勝を決めた西鉄ナインには笑顔が多く、逆に言えば、満足感から、やや緊張の糸が切れかかっているようにも見えた。
それでも1戦目は
稲尾和久の好投と
和田博実の2ランなどもあって6対1と快勝。
ただ、稲尾自身は「技巧のほう、球の配球とかコーナーワークは百点満点に近かったけど、全体的に見たら60点。ただ、いまの僕にあれ以上の投球を出せと言っても無理かもしれんな」と不満顔だった。確かに球数も多く、巨人が「稲尾」に看板負けしたようにも見えた。
2戦目はミス続出もあって6対9で敗れた。先発の
田中勉が1回表、
広岡達朗の打球を右ヒザ下に受け、途中交代。急きょ登板の
安部和春も振るわなかった不運もあったが、強風の中とはいえ、本拠地で5失策はいただけない。
なお第1戦でも稲尾が広岡の打球を右手で受け、負傷していた(交代はせず)。
さらに4回裏には
若生忠男が巨人先発・
城之内邦雄の右手首に当て、次の回から交代。このときは、報復と見た巨人ベンチが殺気立ち、一触即発となったが、
中西太監督が巨人ベンチに行き、「悪いことをした。悪気じゃないのだから許してくれ」と謝罪、事なきを得た。
中西の優しい心がうかがわれる話であり、しっかり謝るのは人としては素晴らしいことだと思うが、大一番に挑んだ指揮官としては甘いと言われて仕方あるまい。
これは巨人が対西鉄の日本シリーズで喫していた連敗を5で止めた試合でもある。前回は58年。3連勝の後、4連敗の屈辱を味わっていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM