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平成助っ人賛歌

巨人・ダンカン 高橋由伸と同時期に入団した元メジャー・リーガー/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

完全に控え扱いで獲得



 あのころ、映画『タイタニック』が世の中を席巻した。

 主演のレオナルド・ディカプリオは、日本でも“レオ様”と呼ばれ、すさまじいアイドル人気を誇り、有楽町の日劇東宝では計50週のロングランと大ヒットを記録する。20年前の平成10年当時はガラケーのiモードすら発表前で、ネットの普及率もまだ15パーセント弱(現代は80パーセント超え)。当然、情報伝達スピードが遅く、時間をかけて世の中に浸透するロングヒット商品も多かった。

 ちなみに上映時間194分の『タイタニック』はのちの初テレビ放映時には、あまりの長さに2日間に分けて放送された。今と比較したら、随分のんびりとした時代だ。そんな1998年春、プロ野球界もひとりのゴールデンルーキーの出現で異様な盛り上がりを見せていた。慶応大学からドラフト1位で巨人入りした“プリンス”こと高橋由伸である。

 97年ドラフト前後の『週刊ベースボール』を確認してみると、11月24日号、12月1日号、12月8日号、12月29日号、1月5.12日号、1月26日号と怒濤のハイペースで由伸スマイルが表紙を飾っている。慶応の詰襟学ラン姿から、ジャイアンツの真新しいユニフォーム姿での長嶋茂雄監督との入団会見まで。開幕直前の週ベでも『天才・高橋由伸を検証する』という特集が組まれ、球界OBたちが「頭も技術も柔らか。その巧さは力強さを上回る次元の違う巧さ。大変な打者の出現だ!」と大絶賛。打撃だけでなく、強肩を武器にした外野守備も評価は高く、まさに長嶋茂雄以来の六大学出身のスーパースター誕生といった雰囲気だ。

 当時、イチロー松井秀喜も一軍定着して数年たち、松坂大輔はまだプロ入り前で、球界は新しいスターを欲していた。そういう時期の巨人に由伸と同時期にやって来た外国人選手が、マリアーノ・ダンカンだった。

 1963年にドミニカで10人兄弟の家庭に産まれたダンカンは、ドジャース傘下でキャリアをスタートさせ、レッズ在籍時の90年には世界一にも輝いた。二塁と遊撃と三塁を守れる、メジャー通算1247安打のバイプレーヤー……だったが、来日時にすでに35歳目前。しかもレッズ時代は2カ月連続の退場処分を食らう熱くなりやすい性格でも知られていた。

 年俸110万ドル(約1億4300万円)の1年契約、巨人サイドは内野のスーパーサブ的な立ち位置でこのベテラン助っ人を獲得。週ベ3月16日号の『“世界一”を2度経験の優勝請負人 ダンカンの“親ニッポン”度を探る』記事によると、家庭の事情で来日は2月中旬にずれ込み、当時の武上四郎打撃コーチは「川相(昌弘)を発奮させるため、まずは遊撃」と完全に控え選手扱い。ダンカン本人も「日本人の若手(仁志敏久元木大介)を育てるため、競争に励んでほしいと言われた。遊撃はここ5年守ったことがない」なんてこぼすなど当初の期待値はかなり低かった。

開幕から「五番・遊撃」で先発出場も


開幕直後は長嶋監督(左)も驚く打棒を発揮したが……


 だが2月25日、初登場の紅白戦で「三番・遊撃」デビューした背番号26は、満塁本塁打を含む2打席連発弾で周囲の度肝を抜く(と言っても、翌日のスポーツ新聞一面は同日に初アーチを含む5打数4安打5打点と前評判どおりの活躍を見せた高橋由伸が飾るわけだが……)。

 しかし、オープン戦が始まると外角の変化球に三振の山を築き、三塁守備でもエラー連発。土井正三守備コーチは「打球を体全体で止めてほしいんだよなあ。あと1カ月しかないが、これからいろいろやってみるよ」と呆れ、またしてもダンカンは「確かにサードには慣れていないんだ。エラーは起こるもの」なんて言い訳を繰り返す。そんな頼りない助っ人に「ダンカン、この野郎!」と当時の巨人ファンも思わず突っ込んだ。
 
 だが、開幕から「五番・遊撃」で先発出場したドミニカンは長嶋監督も驚く予想外の活躍を見せる。球界の今を映し出す『週べ オーロラビジョン』コーナーによると、4月22日終了時、開幕2週間で打率1割台、わずか9安打しか放っていないにもかかわらず、5本塁打、14打点はリーグ二冠トップ。しかも、仁志の骨折により米国で慣れていた二塁で起用され、一時的に守備の不安から解放される幸運もあった。

 しかし、その状態は長く続かず、やがてダンカンはチーム批判でマスコミをにぎわすことになる。6月4日付『ジャパンタイムズ』では「巨人の居心地の悪さに引退を考えている」と爆弾発言。さらに「コーチは外国人選手はいつもヒットが打てるヒット・マシーンだと思っているんだ」と英語でアメリカ人記者に怒りをぶちまけている。

 その後、長嶋監督との直接会談でなんとか収まったものの、気が付けば開幕時の「清原、松井、ダンカン」のクリーンナップは、やがて「三番・センター松井秀喜、四番・ファースト清原和博、五番・ライト高橋由伸」に落ち着く。ダンカンは夏場にはほぼ構想外となり、9月の『週刊現代』誌上で再び『激白100分!長嶋サンのウソ、全部バラす』インタビューで、昨日も広尾のマンションで朝4時までレンタルビデオの映画を5本見たことを告白。スペイン語と英語の通訳はいるけど彼らも何もしてくれないし、気まぐれな監督の起用法に深い精神的ダメージを受け、「アメリカに帰ったら、このジャイアンツの実態を、アメリカの野球連盟にも訴えるつもりでいる」なんて吼える元メジャー・リーガーの姿。終わってみれば、ダンカンは63試合、打率.232、10本塁打、34打点の平凡な数字で1年限りで退団した。

 対照的にスーパールーキー高橋由伸は、126試合、打率.300、19本塁打、75打点という堂々たる成績で、守ってはシーズン補殺数12でセ・リーグ新人外野手初の補殺王に輝き、ゴールデン・グラブ賞も受賞する。チームは秋のドラフトで上原浩治とアマ球界No.1遊撃手の二岡智宏を獲得。そこにはもう35歳のベテラン助っ人の居場所はなかった。

驚異の外国人三本柱


帰国後、古巣・ドジャースでコーチを務めた(写真=Getty Images)


 当時、ダンカンとポジションを争った元木は自著『元木大介の1分で読めるプロ野球テッパン話88』(ワニブックス)の中で、マント、ルイス、ダンカンの90年代後半に巨人が毎年獲得していた外国人内野手を「驚異の外国人三本柱」という笑い話にして振り返っている。

 毎回今度の助っ人はホンモノだとポジションを奪われることを覚悟するも、ことごとく打撃も守備も使い物にならず、すぐ姿を消す。いったい何だったんだ……と思ったら翌年もまた似たようなタイプがやって来る。あれは自分が信頼されていないようで正直きつかった。

 そして引退後、メジャー・リーグ取材へ行った際、球場のクラブハウス前の廊下で「モトキサ〜ン」と呼び止められる。なんとドジャースで一塁ベースコーチャーを務めるマリアーノ・ダンカンとの10年ぶりの再会だった。なお、元木はその年からドジャース監督を務めるジョー・トーリのサインをダンカンに頼んだという。

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
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