今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 広島・長谷川の背番号18は西川に
今回は『1964年1月27日号』。定価は40円だ。
当時の契約更改について細かく書いた記事があった。
その1つ、1月11日、なんと8回目の交渉でサインをした
中日・
江藤慎一の場合を紹介しよう。
江藤の場合、年俸にプラスし、いわゆる出来高だが、前年の契約更改で63年に捕手と外野手をかけ持つ苦労に対する手当が100万円支払われていた。
それが今回は、64年はもう捕手はさせないからと手当をゼロにし、代わりに打率3割2分、30本塁打、90打点を達成した場合、200万を支払う、とした。
この200万は完全に達成したら全額で、それ以下は段階的だったようだ。
球団は1日休むと140分の1(140試合だった)を引く、打率は1厘ごとく140分1を引く、失策は1個について5万円引くと条件を出し、江藤は「10試合休んだら14分の1か、エラー1つで5万も引くのか」と怒り、もめていた。
最終的には100万円は年俸の上積みにし、残り100万は、この条件、ただし失策は1個につき3万円となったらしい。
江藤の月給は85万円程度になったという。
通算197勝を挙げていた
広島・
長谷川良平のコーチ専任。つまりは引退が決まった。
長谷川の背番号18は、もめて入った
西川克弘に譲った。
長谷川コーチは、
「18番の背番号で彼を祝福し、励ましてやりたい」
と語っている。
大物外国人
スペンサーを獲得した阪急では、
西本幸雄監督が厳しい表情で言い切った。
「ことし、もし昨年の二の舞(最下位)になるなら、僕は野球生活をやめることになるだろう。優勝はおこがましいにしても、Aクラス突入は決して難事ではない」
また、もめていた新人研修制度は成人に対しては全廃、未成年新人は今年に限り5月末までを研修期間にすると決まった。
今回の2枚目。
チームは1月10日から多摩川で合同自主トレをしていたが、巨人・長嶋茂雄は前年に続き、大好きな富士山が見える箱根山中でのトレーニング中だった。
このオフは11月25日から12月16日まで映画『勝利の旗』の撮影、そして、その日のうちに欧州旅行に出発し、1月3日に帰国と多忙だった。一人でじっくりやりたいと
川上哲治監督に伝え、承諾されたという。
強打者・
山内一弘が
阪神入りし、タイトル争いがどうなるかという質問もあったが、長嶋はこう答えている。
「俺にとっては自分がライバルだよ。自分自身の心、体、すべてに勝つことがいまの正直な気持ちだ。そりゃあ、ほかの人たちに刺激されるかもしれんが、なんといったって、四角いジャングルの中で、ほんとうに頼れるのは自分だけということよ」
ややプロレスが入っているような気がする。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM