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ドラフト会議物語

【ドラフト会議物語06】名球会入り選手7人の空前の大豊作ドラフト【1968年】

 

今年は10月25日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で54年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。

田淵、星野が巨人に行けず……


翌69年、プロ入り1年目の法大三羽烏。左から田淵、山本、富田


1968年11月12日
第4回ドラフト会議(日生会館)

[1位選手]
東映   大橋穣 (亜大)
広島   山本浩司(法大)
阪神   田淵幸一(法大)
南海   富田勝 (法大)
サンケイ 藤原真 (全鐘紡)
ロッテ  有藤道世(近大)
近鉄   水谷宏 (全鐘紡)
巨人   島野修 (武相高)
大洋   野村収 (駒大)
中日   星野仙一(明大)
阪急   山田久志(富士鉄釜石) 
西鉄   東尾修 (箕島高)

 史上空前の大豊作ドラフトとして語り継がれる。

 東京六大学では法大三羽烏と言われた田淵、山本浩、富田、明大のエース・星野。東都は強打の遊撃手、亜大の大橋、関西では強打のサード、近大の有藤。すぐさまプロの第一線で活躍できると期待された超逸材がそろった。
 
 最大の注目は東京六大学史上最多記録(当時)、通算22本塁打をマークした田淵だ。巨人と相思相愛と言われたが、3番目の阪神が指名し、その後、大騒動となった。さらに8番目の巨人は「田淵でなければ、星野」と言われながら高校生投手の島野を指名。星野は「“島”と“星”が違う」と吐き捨てたという。いずれも最終的には指名球団に入団し、チームを代表する選手となった。

 ほかにも阪急1位の山田、西鉄1位の東尾はいずれも球団のエースに上り詰めたて200勝を挙げる大投手となったが、1位指名で名球会に入ったのはこの2投手に加え、山本浩、有藤。さらに2位以降にも、阪急2位の加藤秀司(松下電器)、中日3位の大島康徳(中津工高)、阪急7位の福本豊(松下電器)の計7人が名球会入り。うち加藤、福本以外は一軍監督の経験者でもある。

 ほかタイトルホルダーも東映4位の金田留広(日本通運)がおり、南海4位・藤原満(近大)、中日9位・島谷金二(四国電力)、西鉄9位・大田卓司(津久見高)ら印象的な選手が多い。

 隠れた注目選手はロッテ9位、飯島秀雄(茨城県庁)だ。野球経験はほぼないが、陸上競技100メートルのオリンピック選手でもあった男だ。足のスペシャリストと期待されての指名だったが、野球の盗塁と100メートルはまったく違う。結局71年限りで引退するまで23盗塁、17盗塁刺。一軍の打席には一度も立っておらず、守備での出場もなかった。

<次回に続く>

写真=BBM

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