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ドラフト会議物語

【ドラフト会議物語10】1年で3球団と交渉の新美。長崎、鈴木孝にはのち因縁対決も【1972年】

 

今年は10月25日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で54年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。

社会人、高校生の実力者が混在する指名


入団会見での仲根(中央)。のち打者に転向した。引退後、肺がんのため40歳の若さで死去


1972年11月21日
第8回ドラフト会議(日生会館)

[1位選手]
大洋    長崎慶一 (法大)
中日    鈴木孝政 (成東)
東映(日拓)新美敏  (日本楽器)
近鉄    仲根正広 (日大桜丘高)
阪神    五月女豊 (日本石油)
太平洋   中島弘美 (八代第一高)
阪急    石田真  (足利工高)
広島    池谷公二郎(日本楽器)
ヤクルト  永尾泰憲 (いすゞ自動車)
南海    石川勝正 (東洋紡岩国)
巨人    中井康之 (西京商高)
ロッテ   伊達泰司 (法大) 

 過去7回のドラフトでは全球団の指名選手の総計が100人を超えていたが、この年は86人にとどまった。指名人数は多くなかったが、社会人、高校生の実力者が混在する指名になった。

 最大の目玉は関大の剛腕・山口高志だったが、早くから社会人・松下電器でプロ拒否を宣言。各球団が指名を回避する中、ヤクルトがわずかな望みを信じて4位で指名するも相手にされなかった。

 人気面では近鉄に1位指名された仲根の注目が高かった。193センチの長身で「ジャンボ」と言われ、甲子園を沸かせた右腕だったが、残念ながらプロでの大成はなかった。

 希有な1年となったのが、東映1位の新美だ。東映で指名されるも、すぐ球団が身売りで日拓ホームのユニフォームを着て、オフには今度、日拓が日本ハムに身売りしたので、契約更改は日本ハムで行った。

 ほか1位で、のち首位打者にもなる巧打者、大洋の長崎がいの一番、快速球右腕の鈴木孝政が2番目だったが、2人はのち1982年の対戦で、鈴木が長崎にサヨナラ満塁弾を浴び、速球派から技巧派への切り替えを決意することになった。ほか広島1位の快速球右腕・池谷、大洋3位の“オバQ”こと田代富雄(藤沢商高)、太平洋3位で、阪神で開花する真弓明信(電電九州)らも、このときに入団になる。

 なお、益山性旭の名前の漢字を説明する際、ドラフト会議の司会・パンチョ伊東さんが「性はセックスの性」と説明したというドラフト定番のこぼれ話がある。多くの人は、それも阪神入りした76年の会議と勘違いしていたが、実際にはこの年、大阪・福島商高3年だった益山が大洋で4位指名された際だった。

「1位だったら紙に名前が出るからみんな漢字も分かる。わざわざそんな説明しません」(伊東氏)とのことだった。

<次回に続く>

写真=BBM
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