週刊ベースボールONLINE

ドラフト会議物語

【ドラフト会議物語29】1位も豊作ながら4位指名でイチロー、中村紀、金本、桧山が入団【1991年】

 

今年は10月25日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で54年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。

大洋の6位にはハマの番長


ダイエーに入団した若田部。2ケタ勝利4回をマークしたが、この年の顔ぶれの中では影が薄い


1991年11月22日
第27回ドラフト会議(新高輪プリンスホテル)

[1位選手]
阪神    萩原誠  (大阪桐蔭高)
ロッテ   吉田篤史 (ヤマハ)
大洋    斎藤隆  (東北福祉大)
ダイエー  若田部健一(駒大)
巨人    谷口功一 (天理高)
日本ハム  上田佳範 (松商学園高)
ヤクルト  石井一久 (東京学館浦安高)
オリックス 田口壮  (関学大)
中日    落合英二 (日大)
近鉄    高村祐  (法大)
広島    町田公二郎(専大)
西武    竹下潤  (駒大)

 会議前日の12球団スカウト会議でアマチュア側との関係改善に向け、「大学進学を表明している高校生、プロ拒否を明らかにしている大学、社会人選手は指名しない」との申し合わせが確認された。また、1992年から支配下選手枠が10人増えて70人になることから1球団の指名人数を6人から10人まで増やし、その代わりドラフト外入団を禁止した(以後93年、外国学校を経た日系人の特例として広島に入団した古河有一が本当に最後の1人に)。

 最大の注目が駒大の右腕・若田部健一でダイエー、巨人、広島、西武と4球団が競合し、ダイエーに進んだ。ほか斎藤隆が大洋、中日と競合し、大洋へ。この年、斎藤を含め、東北福祉大から5人が指名され、77年の江川卓らの法大と並び最多タイ記録となり話題になっている。甲子園のスター・萩原誠は阪神、上田佳範は日本ハムが交渉権を手にした。

 比較的、好選手が多かったこの年の1位の中で投手の最大の成功はヤクルトの快速球左腕・石井一久、オリックスの堅守巧打の外野手・田口壮だろう。田口は阪神に対し、指名回避をうながす会見をして物議を醸したが、当時の阪神は暗黒時代。いまとはまったく雰囲気が違った。

 2位にも好選手が多く、阪神が内野守備の名手・久慈照嘉(日本石油)、日本ハムが大型スラッガー・片岡篤史(同大)、西武には94年の最優秀防御率・新谷博(日本生命)らの名前がある。

 ただ、この年最大の衝撃は4位の充実度にある。阪神が桧山進次郎(東洋大)、オリックスがのちのイチローとなる鈴木一朗(愛工大名電高)、近鉄が中村紀洋(渋谷高)、広島が金本知憲(東北大福祉大)とそうそうたる顔ぶれが並ぶ。ほか大洋の6位にはハマの番長こと三浦大輔(高田商高)がいる。

 さらにロッテ8位に東大からの入団で話題となった小林至。テストで合格し、1年間留年し、練習生となった後の指名だった。そして最後の最後、ダイエー10位は田畑一也(元北陸銀行)。ヤクルト移籍後に開花した苦労人だが、同年限りでドラフト会議の進行役を引退としたパンチョこと、伊東一雄氏が最後にコールした名前ともなった。

 メジャー経験者もイチロー、斎藤、石井、田口、中村がいる充実の黄金世代の1つである。

<次回に続く>

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング