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週刊ベースボール60周年記念企画

ドラフト誕生前夜の喧騒/週べ1964年8月10日号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

キャバレーでも努力を説く川上監督


表紙は巨人王貞治


 今回は『1964年8月10日号』。定価は50円だ。

 今回も優勝が絶望的となった巨人たたきの記事が多い。中島治康千葉茂ら大物OBによる座談会もあったが、現状の巨人がなぜ勝てないのかの問題点を挙げると同時に、川上哲治監督が厳し過ぎて個性派がいない、ベンチが暗いことを嘆くコメントも多かった。

 川上の盟友でもあった千葉はこう言っている。
「僕は哲ちゃんに要求したい。哲ちゃんの堅い、あの努力一点張り。キャバレーに行っても色紙を頼まれると『努力』と書きよるからね(笑)。努力は確かに必要だけど、そういう堅さを周囲に植え付けてしまうということについては、哲ちゃんやっぱり、ちょっと考えんといかんな」
 さすが千葉さん、いいジャブが入っている。

 また、全体に文句を言いながらも巨人に対しても、川上に対しても、もっと頑張ってほしい的なエールの雰囲気があるが、その分、中尾投手コーチらには手厳しい。

 中島は言う。
「川上にすれば、文句をいわない茶坊主コーチを下に置いておけば無難だと思っているかもしれないけど、かえってそれで損をしてるんじゃないか」

 巨人にはベテラン遊撃手・広岡達朗のトレード話も出ていた。
 噂の火元は埼玉県上尾市だった。上尾高の強打の遊撃手・山崎裕之との交渉の際、巨人のスカウトが「来年になったら、うちのショートは空くから」と発言したという。

 当初、餅菓子の老舗「伊勢屋」の息子・山崎の争奪戦は巨人が独走状態だった。しかし、ほかの担当スカウトが足しげく伊勢屋に通っていたのに対し、巨人・澤田スカウトが上目線であったことに父親が反感を持ち、徐々に“混戦模様”になっていたらしい。

 巨人も急きょ、川上監督が山崎の練習の視察に行き、帰りに伊勢屋に寄るなど巻き返しに必死。その中で、澤田スカウトのリップサービスが熱くなっていたこともあるようだ。

 のち山崎の交渉で跳ね上がった契約金が65年秋から始まるドラフト制度誕生のきっかけになったとも言われる。

 当時の週べは、このウワサを広岡にぶつける。
「またか、俺でもまだ売れるのか」と広岡は笑いつつ、
「そんな話は選手の預かり知るところではない。トレードというのは会社間で行われること。私は知らない」と答えた。

 新人では北川工高・高橋一三の二重契約問題も出ていた。
 大型左腕として注目され、10球団の争奪戦になっていた高橋。最初は近鉄と契約金も決めずに仮契約をしたらしい。しかし、この後、巨人は川上監督が直接、高橋の自宅へ赴き説得。もともと巨人ファンだった高橋は大喜びで正式契約を結び、近鉄との契約を断った。
 
 どうも近鉄との契約書はかなり簡易的なものだったようで、法的に問題はなかったようだが、問題視したのは、学校側。あわれ北川工高野球部は間近に迫っていた県大会を自主的に「辞退」となった。

 フレスノ・ジャイアンツで活躍する南海の左腕・村上雅則の大特集もあった。
 9試合に投げ、6勝3敗。内容は45イニングを投げ、奪三振70、与四球18だった。
 ワール監督によれば、
「カーブもストレートも大したことはないが、コントロールが天下一品。キャッチャーの構えたミットに寸分の狂いもなく投げられるんだ。このまま伸びれば大リーグでも使いたいくらいだ」
 また、「村上がボールの回転に対しミスを少なくすることができないか、いつも試している」とも。はっきりとは分からないが、前後を読むと、いろいろな変化球を試している、の意らしい。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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