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平成助っ人賛歌

ヘンリー・コトー 94年日本シリーズでGの主役となったスキンヘッドの“左殺し”/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

記録より記憶に残る愛すべき助っ人


94年、西武との日本シリーズで2本塁打を放ち、優秀選手賞に輝いたコトー


 あのころ、クロマティはプロ野球選手であると同時に、日本でも屈指の有名タレントだった。

 10月22日、テレビ朝日系列『中居正広のスポーツ!号外スクープ狙います!』で放送された「プロ野球ファン1万人&レジェンドOBが選んだ!最強助っ人外国人ランキング」を見てそんなことを思い出した。巨人戦が130試合すべて地上波中継され、年間平均視聴率が余裕で20パーセントを超えていた時代。巨人の選手はもちろん、対戦するセ各球団の選手も高視聴率の地上波ゴールデンタイムのキラーコンテンツ(ナイター中継)で顔が出まくる日々。そのど真ん中で、クロマティのガッツポーズはブラウン管の向こう側でキラキラと光り輝いていたわけだ。

 当時黄金期のフジテレビが毎晩たっぷり放送する『プロ野球ニュース』や、『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』は定番の人気バラエティ番組だったし、小学生の男子は誰もが通る道として『カルビー プロ野球チップス』のカードを集め、ファミコンの『ファミスタ』でプロ野球と触れる日常。いわばニッポン国民の生活に根付き、世間の“プロ野球偏差値”が異常に高かった時代である。だから、クロマティやバースは今も人々の心に強烈に残り、日本では実質わずか1年の活躍だった80年代の懐かし助っ人ボブ・ホーナー呂明賜も中居君の番組でランクインしていた。

 そんな記録より記憶に残る愛すべき助っ人外国人選手の存在。2018年のプロ野球もポストシーズン真っ只中だが、個人的に毎年この時期になるとひとりの髭面スキンヘッドの男を思い出す。1994年に長嶋巨人にいた背番号53、ヘンリー・コトーである。最初に書いておくと、コトーは94年の1シーズンのみの在籍で成績は107試合、打率.251、18本塁打、52打点、OPS.715と外国人外野手としては平凡な数字が並んでいる。それでも、同時期にチームに在籍した“暴れ馬”ダン・グラッデンとともに、この“左殺し”コトーを記憶しているファンも多いだろう。

インタビューで痴漢体験も告白!?


スキンヘッドも特徴的だった


 メジャー通算884試合で569安打に130盗塁、走・攻・守三拍子そろった33歳外野手という前評判での来日だったが、開幕前の評価は低く、宮崎キャンプ中のフリー打撃では打球が上がらずゴロ連発。オープン戦の拙守に簑田浩二守備コーチからは「あれでは使いものにならない。肩に古傷があるなんて聞いてなかったよ」と弱肩を酷評され、中畑清打撃コーチからは「大リーガーの迫力が感じられないよ」とあっさりダメ出し。一部の気が早いスポーツ新聞では「解雇」の文字が踊ったほどだった。

 だが、開幕するとコトーは渋い働きを見せる。チームが苦手としていた今中慎二山本昌中日)、川口和久広島)、野村弘樹(横浜)といったリーグを代表するサウスポーたちから快打連発。「三番右翼・松井秀喜、四番一塁・落合博満、五番中堅・コトー」でスタメンに名を連ね、神宮球場での乱闘劇で両手指を骨折したグラッデンの分まで頑張るしかないと張り切り、オリーブオイルを自慢のスキンヘッドに塗ってケアする意外な一面も。週刊ベースボール94年7月4日号の『独走ジャイアンツ特集』では、“左殺し”以上の働きで開幕前の低い評価を一蹴『ヘンリー・コトー、スキンヘッドの逆襲!!』という記事が掲載されている。

「あまり、ウエートをやるほうじゃないから、マッチョマンには見えないけど、実はオレの筋肉は柔らかくて伸展力があるんだぜ。いいか、よく聞いてよ。バッティングはパワーだけじゃないんだ。しなりなんだよ」なんつって得意げにしゃべるコトー。開幕前の予想を覆す活躍を聞かれると「そんなにオレの評価は、低かったのか」と一瞬ムッとしてみせるも、「何でもトライするのがオレのモットー。ジャパンですることはすべて社会勉強だもの」なんて優等生コメントを残し、いったい何にトライしたのかと思ったら「ホールに入れるのは、ホントに難しいよ。自分の思っているところへ、ボールが行かないんだもの。なかなか勝てやしないよ」って……パチンコかよっ! 遠征先では開店前からパチンコ店の前で並んで待っている姿も目撃される熱の入れよう。さらにコトーは、日本の地下鉄での痴漢体験も告白。地下鉄で男から尻を何度ももまれたという。「こうやって何度ももむんだぜ」と右手でジェスチャーを交えながら熱弁をふるう謎のプエルトリカン。チョビ髭も含めて、巨人では珍しいキャラクターだった。

「10.8」決戦でもトドメを刺す一撃


 コトーは夏場に一時失速するも、9月中旬の天王山と言われた広島戦で川口から先制のV打と17号ダメ押し弾。シーズンを通して対川口には打率.538、3本塁打と驚異的な強さを発揮した。「オレが打てるのは、左だけじゃないぜ。向こう(アメリカ)でそういう使われ方をしてたから、みんなそう見ちゃうかもしれないけど、実際オレには、右も左も特別意識なんてありゃしないよ」と前述のインタビューで豪語した男は、中日との同率優勝決定戦10.8で一番打者として出場すると、第3打席で相手エース今中にトドメを刺す18号ソロアーチを放ち、チームの勝利に貢献。続く西武ライオンズとの日本シリーズでも主役を張ってみせる。

 シリーズ序盤は音無しだったが、第5戦に元巨人の鹿取義隆からダメ押しの2ラン。3勝2敗で王手をかけて迎えた第6戦では、五番・コトーが第1打席で東京ドームの右翼線を破る三塁打でヘルメットを飛ばし激走。岡崎郁の犠飛で先制のホームを踏むと、2打席目は西武先発・工藤公康から死球を受け、続く岸川勝也のタイムリーで2点目のホームイン。3打席目もヒットを放ち、ハイライトは1点差に詰め寄られた8回裏の第4打席、石井丈裕からレフトスタンドへライナーで貴重な一発を叩き込む。

 週刊ベースボール11月12日増刊号『第45回日本シリーズ決算号』では、両手を広げて自軍ベンチに絶叫する背番号53のカラー写真が2ページぶち抜きで掲載されたが、まさに長嶋巨人を初の日本一に導いたのは“左殺し”が右投手からかっ飛ばした2本のアーチだった。視聴率40パーセント超えと日本中が注目したシリーズで、コトーは優秀選手賞に輝き、その意外性の活躍はいまだに多くの野球ファンの記憶に刻まれている。

 しかし、オフには現役バリバリの大物メジャーリーガー、シェーン・マックの加入に伴い1年限りで退団。なんだかよく分からない勝負強さで多くのサウスポーをカモにしたつかみどころのない男は、冗談とも本気ともつかないこんな言葉を残している。

「オレが一番イヤだなって思うピッチャーはサイトウとマキハラ。それにクワタも。ボールは速いし、マウンドでのリズムは最高だよ。ホント、同じチームでよかったとつくづく思ってるよ」

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
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