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プロ野球回顧録

2020年は大丈夫? 1964年、東京オリンピックイヤーで何が起こったのか

 

日本シリーズは関西決戦に


1964年東京オリンピック公式競技開催時の本誌記事


 まず、1964年(昭和39年)の東京オリンピックイヤーのプロ野球を振り返ってみる。

 10月10日が開会式だったので、セ、パはそれぞれ、何とかそれまでに全日程を消化しようとスケジュールを組んだ。

 2月1日からだった制限をなくし、各球団は前倒しで1月からキャンプをスタート。ペナントレース開幕もセが3月20、21日(前年4月13日)、パが3月14日(前年4月6日)と大幅に早めた。

 ネックは試合数だった。63年に収入アップのため試合数を増やし、セは140試合(62年は133、134試合)、パは150試合(62年は131から136試合。なお62年の試合数がバラついているのは引き分けの場合、再試合が行われたから)になっていた。

 それでなくとも過密な日程だったが、64年はさらにあわただしくなったわけだ。
 案の定と言うべきか、雨や台風にもたたられ、終盤はダブルヘッダー連発のドタバタのスケジュールとなる。

 かつて1952年、日米野球のためにシーズン打ち切りをしたこともあった。
 このときも国をあげての大行事。その可能性がなかったわけではないようだが、セの阪神、大洋の優勝争いが熾烈を極め、しかも特に阪神の試合消化が遅れていた。
 やめるにやめられない状況となっていたわけだ。

 一応、セの優勝チーム未定のまま第1戦9月26日、第7戦10月6日の日本シリーズスケジュールが一度発表されたが、台風による試合中止もあって、結局、阪神優勝はシーズン最終戦(ダブルヘッダー)の9月30日となった。

 リスケジュールされた日程では、パの優勝チーム南海との日本シリーズ第1戦は、翌10月1日から。つまり阪神ナインにとっては優勝翌日だ。
 本拠地甲子園での決定で大騒ぎとなり、グラウンドでファンに胴上げされた際、メガネを落とし、踏まれてレンズが割れたという若き四番・遠井吾郎(故人)は、「あわててメガネをつくったが、度が合わず、苦労したよ」と話していた。

 この時点での目算は、7戦までいっても10月9日、オリンピック開会式前日には終了というものだったが、譲らぬ激闘が続き、雨もあってついに第7戦が10月10日になった。
 開会式は昼だったので、両軍の取り決めもあって、この年の試合がすべてナイター開催だったことが多少の救いになったが、やはり客入りは寂しいものがあった。

 ただ、その不入りは必ずしもオリンピックムードだけの問題ではなかったかもしれない。第1戦からかなり空席が目立っていたからだ。

 本誌の企画で、日本シリーズ中に阪神のバッキーと南海のスタンカと対談を行ったが、そこで次のようなやり取りがある。

バッキー 違うリーグの最強チームとやるのに満員にならないなんて、本当に野球を愛するものとしては不可解だろうし、僕も不思議だよ。レギュラーシーズンでも巨人戦以外なかなか満員にならないしね。
スタンカ まだ日本のフランチャイズは本当ではないな。

 人気では巨人「一強」だった時代でもある。甲子園でさえ、巨人戦以外はなかなか満員にならなかった。
 南海は大阪が本拠地。関西対決だったことも盛り上がりを欠いた理由に挙げられた。

 もし川崎が本拠地だった大洋と南海のシリーズだったら、どうなったのか。東京が近い分、ドタバタになったのか、それともバッキー、スタンカが主役になったシリーズだけに、オリンピックで来日した外国人客も来て、意外と盛り上がったのか。

早大が辞退した公開競技


 開会式翌日、10月11日には、オリンピックのデモンストレーションゲーム(公開競技)として全米ノンプロ選抜と全日本大学選抜、全日本社会人選抜の2試合が神宮で行われ(ダブルヘッダー)、学生選抜は2対2で引き分け、社会人選抜は0対3で敗退した。

 記事中の写真を見ると、社会人の胸にNIPPONとあって専用ユニフォームかと思ったが、その下にEXPRESSが続く。

 同年の社会人の都市対抗優勝チーム、日本通運を中心に組まれ、ユニフォームも会社のものだ。
 対して大学は、全日本選手権で早大を破った駒大を中心とし、慶大、法大、立大、中大から7人が補強されていた。
 当初は駒大単独の話もあったが、駒大側から「最強チームとして出迎えたい」と希望があり、上記の4大学が協力、早大はなぜか辞退した。

 こちらは帽子のみ「J」マークでユニフォームは大学のものだった。
 メンバーの中からは、中大・末次民夫、立大・土井正三らがのちプロに進んでいる(2人はいずれも巨人)。

 前売り券は完売だったが、当日はやや内野席に空席があった。
「早稲田が辞退しなければ満員だったのに」とも言われたらしい。

中断期間がもったいない?


 話を戻す。
 2020年大会の期間は7月24日から8月9日、パラリンピックは8月25日から9月6日の日程となっている。野球競技は7月29日から8月8日に行われ、横浜スタジアムを使用予定だ(初日は福島あづま球場)。

 NPBでは7月22日から8月13日までペナントレースを中断、14日から再開の予定で調整をしているという。
 
 さらに言えば、正式決定ではないが、国立に近い神宮球場は用具置き場や関係者の控え場所として7月6日から9月13日まで、会場となる横浜スタジアムはテロ対策などもあり6月9日から8月末まで、サッカーで使用される札幌ドームは6月15日から8月末までプロ野球、アマチュア野球とも開催できないようだ。

 杞憂かもしれないが、温暖化もあって最近9月の日本は完全に台風の通り道となっている。今年を例に挙げるまでもなく、順調に消化できるとは限らない。
 スケジュールづくりは、まさにパズルになってくるはずだ。
 
 加えて、球団からすれば夏休みの15試合以上の中断は興行収入的にも痛いだろうし、期間中もファンの興味をつなぎ、再開後、すぐテンションを戻してもらえる方法も、今後の課題となる。
 地方での野球教室、ミニキャンプもいいが、ウワサされるカップ戦はぜひチャレンジしてほしい。
 今回の日本シリーズを見ていると、マツダ広島やヤフオクでの1か所開催のトーナメントでも盛り上がりそうだ。

 本番まであと1年半ほど。果たして、どうなるのか……。
週刊ベースボール編集部

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