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編集部員コラム「Every Day BASEBALL」

昭和の日米野球 「連合軍」への追憶

 

胸をときめかせる夢のイベント


71年、オリオールズを迎え撃った中日巨人連合軍(木俣達彦=中央、王貞治=右)


 日本シリーズたけなわだが、日本球界の頂上決戦が終われば、いよいよ日米野球が幕を開ける。

 日米野球といえば、かつては本場のスーパースターの来日に胸をときめかせる、夢のイベントだった。

 同じ日米野球でも、世代によって思い入れのあるチームは違うだろう。

 40〜50代ならビッグレッドマシンと称された1978年のシンシナティ・レッズの印象が強烈だ。ピート・ローズ、ジョニー・ベンチ、ジョージ・フォスターらスーパースターが大挙来日。“安打製造機”ローズの一挙手一投足には目を奪われた。独特のクラウチングスタイル、ヘルメットを吹っ飛ばしてのヘッドスライディング、両耳を覆う長髪。何から何まで新鮮な衝撃があった。

 日米野球は基本的に読売新聞社が主催していただけに、日本サイドは巨人が中心となって迎撃するわけだが、子ども心に幻想を駆り立てられたのが「連合軍」というユニークなチーム構成だ。たとえば、広島市民球場であれば広島・巨人連合。ナゴヤ球場なら中日・巨人連合。西宮球場は阪急・巨人連合。日米野球が約1カ月近くにわたって全国各地を転戦(17〜18試合)する中で、巨人以外のプロ野球チームのフランチャイズでは、本拠地球団と巨人が合体し、大リーグチームを迎え撃つというマッチメークが組まれたわけだ。

 シーズン中は敵同士、もしくは別リーグで接点のないチーム同士がタッグを組む。オールスターゲームこそ見慣れていたが、2チームないし3チームによる呉越同舟というのは夢の球宴とはまた違った趣きを感じさせ、ワクワクさせられたものだ。

 では、なぜ連合軍などという発想が生まれたのか。2つのチームが力を結集しなければ大リーグの足元に及ばないほど、当時の日米間には圧倒的な力の差があったのは確かだろう。集客力のある巨人のスター選手を動員することで興行的なテコ入れを図ったとの見方もできる。さらには、巨人の選手の登場で地元のファンを喜ばせることで読売新聞社のPRにつなげたいとの拡販戦略もあったとされる。

 いずれにしても、大リーグのチャンピオンクラスのチームを相手に、日本勢がバラエティー豊かな布陣で挑んでいった時代の日米野球は、レギュラーシーズンや夢の球宴、日本シリーズなどの年中行事とはまたひと味違う魅力があった。

 そんな日米野球の記憶が11月2日発売の『ベースボールマガジン』12月号では大特集されている。遙かなる日米野球への追憶は果てしない。野茂英雄が凱旋した1996年を機に、日米野球は新たなステージに突入した。いまや侍ジャパンが統一されたユニフォームの下でメジャーのオールスターチームに勝負を挑む。稲葉篤紀監督が「勝ちにこだわっていく」と語る通り、今回の日米野球は2020年の東京オリンピックをにらんだプレ国際大会の様相を呈している。

 時代とともに、日米野球の色彩も変わっていく。だが、日米野球が日本球界の原点であるのは間違いない。ベーブ・ルース一行が来日した1934年、並み居る大リーガーを向こうに回して快速球と「懸河のドロップ」できりきり舞いさせた沢村栄治のピッチング。その魂は目に見えない形で、いまに受け継がれている。

ベースボールマガジン12月号


文=佐藤正行 写真=BBM
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