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編集部員コラム「Every Day BASEBALL」

日本シリーズ中から進めていたトレード話

 

87年、巨人を破って日本一に輝いた森西武。森監督はシリーズ中から来季を見据え、補強を考えていた


 1987年、巨人と日本シリーズで激闘を繰り広げた西武。第6戦でクロマティの緩慢な送球を突き、一走の辻発彦秋山幸二の単打でホームに生還した“伝説の走塁”などもあり、西武が4勝2敗で日本一に輝いたが、シリーズ中、森祇晶監督の視線は次のシーズンにも向いていた。自軍に足りない戦力を分析。シリーズ中にある球団の監督に電話を入れていたという。

 以下は森氏の述懐。

「当時は投手陣が安定し、内野手も若返りを果たしていたが、唯一の弱点は外野手だった。秋山以外の外野手は、いずれも守備面に不安を抱えていた。足と肩があり、守備範囲が広い外野手を私は欲していた。そこで目に留まったのが中日平野謙だった。

 宿泊先から星野仙一監督に電話し、平野のトレードを申し入れた。星野監督は『日本シリーズ中にトレードの話をしても大丈夫なんですか』と驚いていたが、『こういうときだからこそ、話が表面化しないからいい』と私は答えた。

 星野監督は投手が欲しかったらいく2、3人の名前を挙げた。だが、トレードは監督の一存では決められない。具体的な人選は根本陸夫管理部長に任せた。そこで名前が浮上したのが小野和幸。将来性のある投手だったが、平野を獲得するためにはやむを得なかった。

 監督のタイプもいろいろいるが、やはり私はディフェンスから考えていた。そういった意味では平野は適任だった。足と肩だけではない。バントなど小技も巧みで、打線の中でつなぎ役を果たしてくれる。絶対に必要な存在であった」

 このトレードは両者にとって大成功だった。88年、平野は右翼に入り、秋山とともに強固な外野陣を形成。打撃でもチームトップの打率.303、リーグ最多の41犠打をマーク。打線の潤滑油として機能した。一方、小野も18勝、勝率.818で最多勝、最高勝率のタイトルを手にした。

 そして、西武と中日は同年の日本シリーズで激突したのである。

文=小林光男 写真=BBM

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