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週刊ベースボール60周年記念企画

スタンカ2日連続完封/週べ1964年10月26日号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

東京オリンピック開会式の夜に


表紙は右から南海・鶴岡一人監督、野村克也


 今回は『1964年10月26日号』。定価は50円だ。

 3勝3敗で迎えた日本シリーズ第7戦で、すさまじい記録が生まれた。南海・スタンカの2試合連続、それも2日連続の完封勝利だ。これで第1戦を加え、3試合完封だ。

 スタンカは連投を前夜、マネジャーから電話で聞いた。

「正直言って驚いたし、不安もあったが、2度とないチャンスと思った。それでOKしたのさ。監督さん(鶴岡一人)が僕を信頼してくれたのがうれしかったのだ」

 南海の日本一は1959年以来となる。MVPも当然スタンカだ。

 ただ、賞品の車、そして運転席に座った美女と一緒にポーズを撮っていると、南海ファンから冷やかしのヤジ。これにオッサンたちが沸いた。

「自動車をスタンカにやるんなら、中に乗ってる女を広瀬にやれや」

 南海・広瀬叔功。なぜか表彰はなかったが、確かに30打数10安打、2盗塁。しかも二塁打4本、三塁打1本と大活躍だった。

 表彰式がすべて終わった後、甲子園のベンチに置かれた炭火を囲んで敗者・藤本定義監督の即席記者会見。

「敗因はスタンカを打てなかったこと。これだけですね。シリーズ前に研究できなかったというが、3回登板しているんですから研究不足とは言えませんね」

 さらに来年のことを聞かれ、「いまは頭が空っぽ。何も詰まってないんです」と言った後、「おい、空っぽと言ったらそのまま書くんだろう。それはまずいからほかのことを話そうや。何でも聞いてください」
 
これには記者たちも大笑い。

 本来は7戦でも10月9日終了予定だったが、8日の試合が雨で流れ、10日、東京オリンピック開会式の夜の決着となった。

先日亡くなったスタンカがMVPに


 以下雑ネタ2つ。

 1つめ。

 東映・張本勲が母親のためにオリンピック開会式のチケットを探しているという記事が新聞に載った途端、球団事務所にチケットを譲りたい、という電話が殺到した。

 ただ、これは必ずしも美談ではない。

 当時の相場は知らないが、「3万円で私は手に入れた。張本さんならそのまま3万円で譲ってもいい」という、いわばダフ屋の売り込みみたいな電話ばかりだったそうだ。

 2つめ。

 プロでは59年に外野出場13試合があるが、それ以外はすべて一塁出場だった東京・榎本喜八が秋季キャンプで外野手転向に挑戦。本堂安次監督は、榎本を守備の負担の軽い(当時はそう思われていた)、外野に回し、一塁には逆に外野手としては肩と足に不安があったパリスを回すプランを立てていた。

 だが、練習初日、懸命にノックを受けた榎本から、翌日になって本堂監督に直接電話がかかっていた。「すいません。きょうは休ませてください。肩が痛くて全然上がらないんです」

 性格的にズル休みはないだろう。ずっと一塁をしていたことで、慣れない遠投に肩が悲鳴をあげたようだ。

 かくして榎本の外野転向は1日でオジャンとなった。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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