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週刊ベースボール60周年記念企画

巨人・川上哲治の苦悩/週べ1964年12月7日号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

大川博のNET社長退任


表紙は巨人柴田勲


 今回は『1964年12月7日号』。定価は50円だ。

 東映の大川博オーナーが兼務していたNET社長を追われた。

 NETは現在の「テレビ朝日」で、当時の正式名は「日本教育テレビ」だった。東映をはじめ、旺文社、日本短波放送、東京タイムズがスポンサーになり、教育番組、教養番組の放送のために設立したもので、朝日新聞とは関係ない。

 しかし業績不振もあって社長を務めていた旺文社の赤尾好夫が退任。会長だった大川が60年11月に社長となると、娯楽要素を強め、一気に黒字に転換させた。教育番組メーンということで免許が交付されたはずだが、そこはなし崩しだったようだ。。

 しかし2億円の使途不明金や東映の旧作をNETがほかの映画会社からより高く買う、また、まだ番組が放映されていないうちに6千万あまりが東映に支払われているなどが発覚し、大川はNET社長を辞任した。

 これにより東映球団の経営もかなり厳しくなるのでは、と噂された。

 東映では張本勲が頭を抱えていた。

 カラ―テレビの普及に合わせたのか、64年に各チームで色つきバットが大流行。黒、エンジ、黄色、青色、さらにはピンク色まで出回っていたという。

 しかし一部のバットの着色が悪く、ボールに色がつくケースが増え、ついに65年からの使用禁止が通達された。

 張本は、黒いバットを使い、すでにストックが30本ほどあったという。1本1500円ほどだからおカネ的にも痛い。

「練習用にするか、(母校の)浪商に寄贈するしかないな」とこぼしていた。
 
 この号の巻頭記事は元巨人軍社長の品川主計と作家の五味康祐の対談だったが、とにかく品川の川上哲治批判がすさまじい。

「川上君が監督として不適任だということをいいたい。それはどこに根本の原因があると思う? 彼に愛情がないということなんだ。広岡(達朗)君にしてもああいう扱いはしない。自分が表に立って真剣にやるべきなのだ」

 広岡の移籍に動いた川上監督が、広岡と面と向かって話し合いをしようとしなかったことへの批判だ。

 のちの手記にもあるが、世論も品川と同じで、人気者の広岡を“追い出そう”とした川上にすさまじいバッシングを浴びせた。

 非難の声は家族にまで届き、子どもはいじめられ、夫人は心労で倒れたという。

 このとき川上は監督退任を決意したが、家族から止められ、再び野球に取り組むことを決めた。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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