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プロ野球FA史

【FA史】メジャー断念の稲葉篤紀が北の大地へ/2004&05年

 

1993年オフからスタートしたFA制度。いまや同制度は定着し、権利を得た選手の動向は常に注目されている。週べONLINEでは、そのFAの歴史を年度別に振り返っていく。

球界再編を経て


ヤクルトからFAで日本ハムに移籍した稲葉


 球界再編の激動で、混迷を極めた2004年オフ。2リーグ分立の1950年からの歴史を持つ近鉄が消滅した一方で、楽天の新規参入が決まり、オリックスと近鉄の選手を、オリックスと楽天に振り分ける“分配ドラフト”が行われた異例のストーブリーグとなった。

 さらに、主軸の井口資仁がホワイトソックスへ移籍したダイエーはソフトバンクに球団を売却。トレードも年内に決まらなかったものが少なくなく、全2件のFAも新天地が確定したのは05年に入ってからだった。

【2004年オフのFA移籍】
05年1月11日 大村直之(近鉄→ソフトバンク)

05年2月25日 稲葉篤紀(ヤクルト→日本ハム)

 オリックスを自由契約になった山崎武司は楽天が獲得して打線の主軸となり、近鉄の主砲だった中村紀洋はオリックスの支配下となった後、ポスティングでドジャースとマイナー契約。一方で近鉄のエースだった岩隈久志はオリックスへの入団を拒否、トレードを経て楽天へ移籍して、その後もエースとして戦力難に苦しむ新生チームを支えた。

 その近鉄で“いてまえ打線”の斬り込み隊長だった大村はFAで新生ソフトバンクへ移籍。ダイエー時代から黄金時代にあるホークスでもリードオフマンとなり、06年にはリーグ最多の165安打を記録するなど活躍を続けた。

 一方、FAでメジャーを目指したのが阪神藪恵壹とヤクルトの稲葉。藪はアスレチックスへ入団して4勝1セーブをマークしたが、オファーがなかった稲葉は最終的に日本ハムへ。日本ハムにとっては初めてFAで獲得した選手となった。

 翌05年に北海道へ移転して2年目を迎える日本ハムでは、規律を重んじたヤクルト時代と打って変わって、03年オフに日本ハムで日本球界へ復帰していたSHINJO(新庄剛志)が繰り広げるド派手なパフォーマンスにも参加。06年からの連覇に貢献し、その後もチームリーダーとして日本ハムを北の大地に根付かせていった。

FA選手が初めて人的補償で放出


清原は巨人を退団してオリックスへ


 かつて巨人がFAで獲得した2人の長距離砲を05年オフにリストラ。清原和博を戦力外で、江藤智はFAの人的補償として放出する。FAで移籍した選手がFAの人的補償となったのは初めてだった。清原はオリックスで、江藤は西武で、ともに現役を引退。そして、巨人はFAで新たに2選手を獲得した。

【2005年オフのFA移籍】
11月17日 野口茂樹中日→巨人)

11月28日 豊田清(西武→巨人)

 中日でVイヤーの99年にMVPとなったものの、02年からは不遇だった野口が中日の生え抜き選手としては初めてFA宣言。だが、新天地の巨人でも精彩を欠き、07年に古巣の中日から1勝を挙げたのみに終わる。ちなみに、野口の人的補償で中日へ移籍した小田幸平は、司令塔の谷繁元信に続く第2捕手として渋い存在感を発揮した。

 江藤との“交換”での加入となった豊田は、移籍1年目の06年こそ西武時代と同様にクローザーも担ったが、二段モーションの規制が厳格化したことにも苦しめられて期待された結果を残せず。それでも翌07年にはセットアッパーとして復活して、在籍4年で64ホールドをマークしている。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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