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プロ野球1980年代の名選手

栗橋茂 猛牛打線のクリーンアップ“和製ヘラクレス”/プロ野球1980年代の名選手

 

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

中央分離帯で素振り?


近鉄・栗橋茂


「同じホームランでも、飛ばしたほうが胸を張れる」

 飛距離にこだわり、筋骨隆々の肉体で“和製ヘラクレス”と呼ばれたのが近鉄の栗橋茂だ。猛牛打線のクリーンアップに座り、“赤鬼”マニエルに続く五番打者として1980年までのリーグ連覇に貢献した国産大砲だが、

「毎日、寝ないで飲んで野球やってました。昔の人がよく、そう言うでしょ。それに負けるか、って(笑)。ただ、たまに、真面目に真っすぐ帰ると、打てないんですよ。ああ、俺は真面目に真っすぐ帰ると打てないんだ、遊びに行くしかないって思ってました(笑)」

 酒豪としても知られ、遠征やキャンプでは早朝まで飲み続けて店から朝の体操に直行したなど、酒にまつわるエピソードも豊富。その“代表格”が「飲んで帰った朝にホテル前の交通量の多い道路の中央分離帯に立って素振りした」というものだろう。

「やったのは本当ですよ(笑)。村上(隆行、嵩幸)がテレビの番組で言ったらしい。村上と大石(大二郎、第二朗)に見られたんだけど、ということは、あいつらは俺より遅くまで遊んでたってことですよね(笑)」

 乗用車なら直球、トラックなら変化球と“打ち分けた”とも言われるが、

「それはない。トラックなんて、せいせい80キロくらいでしょ。そんなのに合わせていたらプロの球は打てないって」

 いずれも真偽のほどは定かではないが、間違いないのは、酒が良きパートナーであり、同時に、きっちりと結果を残し、ファンの記憶に刻み込まれたことだろう。

 77年に外野の一角を確保して、翌78年に初の規定打席到達。続く79年には全試合に出場して自己最多の32本塁打を放って、近鉄の初優勝に貢献した。連覇の80年は28本塁打にとどまったが、出塁率.412はリーグトップ。打率.328はロッテのリー、レオン兄弟に続くリーグ3位で、日本人の打者ではトップだ。

 2年連続で外野のベストナインにも選ばれたが、広島との日本シリーズは本領発揮とはいかなかった。80年は第4戦(大阪)でスタメンを外され、続く第5戦(大阪)まで11打数1安打と大不振。第6戦(広島市民)の試合前、ベンチで肩を落として座っていると、

「後ろから肩をもんでくる人がいるんですよ。振り返ると西本さん(西本幸雄監督)。『周りはいろいろ言ってくるかもしれんけど、聞くな。間違ってもいいから思い切って、お前の形で行け』って」

 9回表に代打で登場してソロ本塁打。日本シリーズ3度の出場で唯一の本塁打だった。

89年のリーグ優勝を見届けて


 ついつい力が入り過ぎるタイプで、西本監督に怒鳴り返したこともあるというが、

「監督室に謝りに行くと、軽く手を上げてた。次の日、日生(球場)の狭い通路で会っちゃったんですよ。何も言わなかったけど、すれ違いざまに、お尻をポンって。ああ、この人についていこう、と思いました」

 その西本監督も81年限りで勇退したが、翌82年にリーグ3位の打率.311を記録して3度目のベストナイン。85年には5月21日の南海戦(大阪)でサイクル安打を達成するなど、主軸として活躍を続ける。だが、“和製ヘラクレス”も年齢には勝てなかった。

「ウエートは、ほとんどしてないんですよ。キャンプや自主トレではしてたけど、シーズンに入ったらしなかった。変な筋肉をつけちゃいけないっていう時代ですからね。いま思えば、やっていたら、もっと長持ちしたかな。最後は完全に力が落ちましたからね」

 2ケタ本塁打は86年の10年連続でストップ。阪神からトレードの話が来ると、

「出すんだったら、やめます、って。入った以上は最後まで近鉄とも思ってましたしね」

 近鉄9年ぶり3度目のリーグ優勝を見届けて、89年限りで現役引退。巨人との日本シリーズ第6戦(藤井寺)で2点ビハインドの9回裏一死で代打に立ったが、豪快な空振り三振に倒れる。これが最後の打席となった。

写真=BBM
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