1993年オフからスタートしたFA制度。いまや同制度は定着し、権利を得た選手の動向は常に注目されている。週べONLINEでは、そのFAの歴史を年度別に振り返っていく。 今江はFA移籍3年目の18年に復活
ロッテから楽天へFA移籍した今江(左。右は梨田監督)
ストーブリーグの皮肉は2015年オフも続いた。
広島から
前田健太がポスティングでドジャースへ移籍。エースが抜けて苦戦が予想された広島だったが、若い戦力だけでなく14年オフに復帰した
黒田博樹、
新井貴浩らの活躍もあって、翌16年に25年ぶりリーグ優勝、その勢いのままリーグ3連覇を果たすなど、黄金時代に突入した。
前田はメジャーでも活躍を続け、広島もポストシーズンでは詰めの甘さを見せて日本一は1度もないことから、もし前田が残留していたら1度くらいは日本一もあったかもしれないが、これも仮定の話だ。
また、補強の“主役”
ソフトバンクは珍しく大きな補強はなかったが、カブスから
和田毅が古巣復帰。翌16年のリーグ王座こそ
日本ハムに奪われたが、最多勝と最高勝率の投手2冠に輝いている。
さらに、国内では4件のFA移籍が成立したが、すべてが優勝に結びつかず。さらに、FAを宣言しながらも残留した2選手は勝利に貢献。ソフトバンクでメジャー挑戦を表明した
松田宣浩は主力としてだけでなくムードメーカーとしてもチームを盛り上げ続け、
ヤクルトに残留したものの16年オフに戦力外となった
田中浩康は移籍した
DeNAで野球巧者ぶりを発揮、いぶし銀のプレーで17年には19年ぶりとなる日本シリーズ進出に突き進んでいくチームを支えた。
【2015年オフのFA移籍】
2015年12月4日
高橋聡文(
中日→
阪神)
2015年12月8日
脇谷亮太(
西武→
巨人)
2015年12月10日
今江敏晃(ロッテ→楽天)
2016年2月5日
木村昇吾(広島→西武)
16年となって移籍先が決まった木村は徐々に失速して17年限りで戦力外となった。ロッテからFAで海外を目指した今江は、国内に残留して楽天へ移籍。ロッテでのラストイヤーは死球禍で2カ月ほど戦線を離脱した今江は、新天地でも早々に古傷の左ふくらはぎ痛を再発させ、翌16年は開幕を二軍で迎える。続く17年は登録名を「今江年晶」に改めて再起を期したが、守備中に骨折するなど不運が続いた。だが、18年に完全復活、127試合に出場して、4年ぶりに規定打席にも到達。一塁と三塁を兼ねながら、主に四番打者として最下位に沈んだチームを引っ張った。
新監督が決め手となった2件のFA
落合博満監督が率いていた時代の中日で左のセットアッパーとして投げまくっていた高橋は、11年に故障で一気に登板機会を減らしたが、
金本知憲監督1年目の阪神で完全に再生。現役時代は高橋に苦しめられた金本監督のラブ
コールによる移籍だったが、6年ぶりに50試合以上に登板して、以降2年連続50試合、20ホールドを超えるなど、ラブコールが最高の形で実る結果となった。
西武でFAとなった脇谷は古巣の巨人へ復帰。13年オフにFAで巨人へ移籍した
片岡治大の人的補償で西武へ放出されていた脇谷は、人的補償を経験しながらFAで移籍した初の選手となり、FAの“主役”巨人にとっても初のFAによる古巣復帰となった。脇谷も巨人時代の先輩で、オフに現役を引退して監督となったばかりの
高橋由伸を慕っての移籍。西武時代よりも出場機会は減らしたが、自身初のサヨナラ本塁打を放つなど“恩返し”を果たしている。
写真=BBM