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週刊ベースボール60周年記念企画

金田正一とラソーダのカーブ論争/週べ1965年3月1日増大号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

背番号のない町田行彦


表紙は左が巨人金田正一王貞治



 今回は『1965年3月1日増大号』。定価は60円だ。恒例の選手写真名鑑号である。

 巨人の宮崎キャンプに背番号のない31歳の選手がいる。元国鉄の町田行彦だ。55年のホームラン王も脊椎分離症もあって低迷が続き、64年オフには球団の緊縮財政を理由に金銭トレード要員に指名された。

 しかし行き先が決まらず、国鉄は25パーセントの減俸なら残留と条件を出したが、「もうスワローズは俺を必要としていないのだ」と思った町田は断り、巨人に移籍した金田正一に口利きしてもらって宮崎の巨人キャンプにテスト生として参加。この号では、どうやら入団が決まったらしい、とある。

 巨人のキャンプには、のち監督にもなるドジャースマイナーのコーチ、ラソーダが打撃コーチのマイヤーズとともに来日し参加。ラソーダは、「すごい。君は大リーグでも通用する」が殺し文句だった。

 一度大衝突があったのが、金田正一とのカーブ論争。
 ラソーダはベテランの金田には特に指導もしなかったが、渡辺秀武に教えたカーブの話を聞いた金田が「そんなアホなことはないだろ」と意見、

 ラソーダは「カーブはステップした足を開いて投げる」と言ったが、金田は「上半身の発達した外国人はそれでいいんだろうけど、日本人ならむしろ足を真っすぐ踏み込んで投げたほうがいい。体を開くとすっぽ抜けのカーブが多くなる」と反論。

 お互い譲らず一時は周囲も騒然となったようだが、最後は金田が引き下がった。
「ワシも頑固やが向こうはワシを上回る頑固者やな」
 とあきれ顔の金田。それでも宿舎に戻る際にはラソーダがくわえた葉巻に火をつけてやり、お互いニッコリ。最後、金田は「ヘイ!」とラソーダに声をかけた後、歯をむき出しにし、「イーッだ」と言ってニヤリ。さすが金田というところか。

 金田の醸し出す雰囲気もあってか、例年になく明るい巨人キャンプ。川上哲治監督ものんびりムードでパチンコ必勝法(?)を記者に語った。
「ワシもこの前、100円買ってやってみたが、タバコのホープを七箱取った。ワシはこういう性格だから玉が受け皿に少したまったらすぐタバコに代える。元を取ったら安心してできるからな。昔はよくやったよ。台のガラスがガタガタするときはマッチ棒を差し込んだり、玉が弾いて入らんときもちゃんと秘策がある。ワシは凝り性だから何でもトコトンやる。みんなに腕前を見せてやりたいものだよ、ハハハ」

 対して前年の覇者阪神は、エース、村山実が打倒巨人に向け、抱負を語っていた。
 もちろん、主要テーマは対ONだが、王貞治、長嶋茂雄への思いは、かなり違うようだ。
 まず王対策を聞かれた際は、
「ワンちゃんはワインドアップすると前足を上げ、それをホームベースにかぶせるようにしてくる。ヒザの先がホームプレートに来るんだ。ふつうのピッチャーだと当てたら悪いと思い、避けて外角に投げてしまうが、ワシは幻惑されずホームプレートを狙って投げるんや。だからあまり打たれないやろ」
 と具体的に語るのだが、長嶋について聞かれると、
「こいつは商売やからな。野球選手はキャンプになると、特に新聞を見る。何もこちらの手の内を公開することもないやないか。まあ、そいつはやめときまっせ」
 と途端に口が重くなった。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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